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◆【さらば大滝詠一氏】あなたの日本ポップス発展・進化への貢献は忘れません。ありがとう!


若き頃より、共に時代を歩んで来た人が、また亡くなりました。

大滝詠一氏の訃報を知ったのは、午後7時のニュースでした。

(久しく顔を見なくて、病気でもしているのかな?)とは思っていたのですが、そうではなく、突然のことだったようです。

あらためて、氏への敬意と、感謝を込めた尊崇の念を捧げます。




【大滝詠一氏の御霊へ】 (人物名:敬称略)

■私は、同じ音楽を愛好する者として、あなたの創られる音楽や、仲間達を1969年のデビュー時から応援して来た者です。

【はっぴいえんど】は、細野晴臣、鈴木茂、松本隆の4人で、それぞれに個性溢れた人達ばかりでした。

あなたは、積極的にTVCMを手掛けるなど、いろんな音楽性をも秘めた人でもありました。


■【はっぴいえんど】は、日本最初のロック・バンドとも言われていますが、私はそうは思っていません。

あなたや、あなた達のお仲間が創られていたものは【新しい日本のポップス】でした。

私から見たら、才能豊かな人達ばかりが集まっているようにも見えていたものです。



■私は、ロック音楽は嫌いですが、エレキギター音楽は大好きです。

【リバプール・サウンド】、【サーフィン・サウンド】の全盛時を知っている私達です。


バンド名は忘れてしまいましたが、あなた達が(演奏出来ない)海外バンドの日本公演の【影武者演奏】をしていたと知った時、驚き、嬉しくなりました。
(おそらく、あのグループと思えるものがあるのですが、本当に忘れてしまって、今は調べる暇もありません)


■あなたは、演奏家・作曲家の多彩な才能を発揮されながらも、アルバム数としては少なく、中身の濃いものを、世に出されたように思います。

私は、【売れない本格派】という側面を持っていたあなたと、あなたのお仲間が大好きでした。

常に、【チャレンジ精神】に溢れていたからです。

そうした良き時代を、共に過ごせた事を、今更ながら感謝しています。




あなたは、[宮沢賢治]が好きだったと聞いています。[宮沢賢治]は、確か・・、[法華宗]の信者と記憶しています。

あなたがどうかは存じ上げませんが、本来の[法華経]の中には、仏教の真髄も入っているはずですので、
私からあなたへの、[音楽縁者]としてのお願いです。


今から24時間以内に、あなたの【肉体と幽体を繋いでいる霊糸線(シルバーコード)】が切れます。

それが切れた時が、本当の、この3次元世界との別れの時です。

その頃には、あなたの周囲には【導きの霊(お迎え)】が来ています。

荒々しい現世に染まった現代人には、なかなかその事(お迎えが来ている)が解らずに、この世に留まり続けている霊人達が多いです。


だけどもあなたは【音楽家】です。

【導きの霊(お迎え)】の放つ、奏でるものが解ると思いますので、彼等に寄り添って【天国】へお還り下さいますよう、願って居ります。

そうした、この世との(見えない)別れの儀式がありますが、どうぞ【導きの霊】と共に真っ直ぐに還られる事を、同じ歳のファンとして、お願い致します。




あなたの残された業績は、私は評価しています。西洋に負けない音楽を、この日本で創られました。

私は、今後も、私が生かされる限り頑張り続けて、少しでも、この3次元世の中にお役に立てればと思います。


あなたが創られた、私の大好きな歌です。

さらばシベリア鉄道(ご本人)



同じ曲の、あなたが[フィヨルド7]の名で出されたインストものです。

哀愁のさらばシベリア鉄道(ギター・バージョン)(フィヨルド7)


年の瀬の仰天ニュースではありましたが、慎んで、ご冥福をお祈りいたします。



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Trackback [0] | Comment [1] | Category [雑感] | 2013.12.31(Tue) PageTop

◆【日本人は、世界恒久平和を願う人々だ】世界の乱れを治める力は[心]から始まる。丸い地球が丸い心で包まれた時、未来が開ける。


今年も、残すとこ2日となりました。

あらためて、当ブログへ、ご訪問頂いている皆様に感謝申し上げます m(._.)m

また引き続き、来年も、よろしくお願い申し上げます m(._.)m




年末になって、安倍総理の靖国参拝が話題になっているが、必要以上に騒ぎ立てるものでは無いはずだ。

反日色の強い新聞・マスコミは、いい加減にして欲しい。

こちらを見られたら、TVマスコミ報道とまったく違うのが解かると思う。
◆安倍首相が米国の反対を押し切り靖国神社を参拝した事を支持しますか?


それにしても、TVに映し出された【安倍政治】を批判するデモ隊は、どうして?日の丸旗を掲げていないのか?

「日本の為、日本人の為」と言われるなら、デッカイ国旗を掲げて叫ばれたら如何か。

私達が岩国で、【オスプレイ配備賛成デモ】をやった時は、【日の丸だらけ】だったのだが?


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(画像をクリックされれば、リンク先に飛びます)

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(画像をクリックされれば、リンク先に飛びます)


◆靖国参拝批判で国益を損なう新聞報道 内政干渉を呼び込むな(The Liberty Web:2013.12.28)


◆中国・韓国も知りたい?安倍首相が靖国参拝した理由【ザ・ファクト】
2013-12-29-3.jpg 
(画像をクリックされれば、リンク先に飛びます)


上記で語られている【吉田松蔭の言葉】は、私も同感だった。

私は、この松蔭先生の霊言が収録される前に、安倍総理に対して厳しい苦言を書いている。

◆【安倍総理、乃木神社に参拝することは、ご遠慮下さい】どうして「日本の国民減らし」をするような増税に踏み切られたのでしょうか。残念です。


■実を言うと、私も【松蔭先生の怒りが感じられた】ので、すぐさま書いたのだが、松蔭先生の名前を出す訳には行かず、私個人の言葉として書いた。

当時、個人的な感情になっていないか不安もあったが、後に【吉田松蔭の言葉】が公開されて安心した。

時折、そのように閃きにまかせて書きまくっている場合もあるが、多くの場合、1晩寝かせてUPしている。


■だが、前回書いたものは違う。【思い付いたまま】を、すぐにUPした。


不思議なことに、そうしたものが反応がいい。

正直言って前回書いたものは、(もちろん私の中にある考えだが)、私が書いて居ながら、まるで他者が書いたもののようだった。

時々、こうした事もあるので、私自身がUPしたものを、書きっ放しでは無く、前回文だけでも20回以上は読み直している。




沖縄普天間基地の辺野古移設が、仲井真県知事から承認された。

紆余曲折とは、まさにこの事だろう。

思えば、民主党の鳩山氏は【要らぬ事】をしてくれたものだ。

この民主党の3年半政権の間に、日本が漂流し始めた。

【だから言ったのに!】と言っても、せんなき事だ。


■とりあえずは一歩前進と言いたい処だが、民主党政権前の状態に戻っても居ないので、沖縄は、これからも要注意である事は変わらない。

沖縄県民も、中国や日本本土からの左翼が闊歩する中、なかなか本音が言えず、行動にも移せないだろう。

沖縄県民の皆様も、多額の沖縄振興資金は、日本国民の血税である事を忘れてはいけない。

【アメリカと中国との違いを知って】、あなた方自身の為にも立ち上がらなければならない、ギリギリの時期に差し掛かっている。




■本来は、【来年も良い年に】と言わなければならない処だが、来年はもっと厳しい年になると思う。

そこには、日本人に【甘えや依存】があってはならない。

【日本人は、世界恒久平和を願う人々】であり、その心掛けは大切なものだが、それが【弱さ】になってはならない。

おそらく来年は、個人や国家単位で、それが試される年になるだろう。


日本国民全体が、【一国平和主義の時代では無い】時期に入っているとの認識が必要だろう。

【自分の国は、自分達で護る】を、超えて行けるかどうかが、鍵になる。

むろん戦争を意味しているのでは無い。

日本人個々の【心】の問題だ。

マイナスをプラスに変える、大きな心の力が大切になる。


良い年となりますように。




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Trackback [0] | Comment [0] | Category [政治・経済] | 2013.12.29(Sun) PageTop

◆【年忘れの雑感】10件に1件が、幸福実現党を支持?


いつもの事ながら、ある場所を覗くと(実際に)気分が悪くなる。

どうでも良いことを、わざわざ大袈裟にしている人が居る。

真面目にブログを書いている者にとっては、迷惑極まりない。

我慢に我慢をしている者が居る事を知れ。

爆発寸前。




【ちょっとだけ:政治】

◆南スーダンPKO 自衛隊、国連通じ韓国軍に小銃の弾薬1万発提供へ(FNN:2013.12.23)


◆南スーダンPKO 自衛隊が韓国軍に弾薬提供 「3原則」の例外に(FNN:2013.12.24)

◆韓国軍に弾薬提供 民主党から閉会中審査を求める声も(FNN:2013.12.25)


民主党が、【いかにも正論染みた事】を言っているが、正気なのか?

そもそも「武器輸出三原則」は、1967年に佐藤栄作首相が示した原則・方向性であり、【法制化されたものでは無い】

◆「武器輸出三原則」の"例外"扱いでいいのか? 自衛隊がPKO参加の韓国軍に銃弾を提供(The Liberty Web :2013.12.25)


当時の日本国情と、今とでは雲泥の差がある。

民主党はもちろん、自民党も、【原理主義者】に陥っていては、柔軟な考え方が出来なくなり、国際情勢の変化に付いて行けなくなる。

【どこに正義があるか】を、常に見据えて頂きたい。

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◆安倍首相が靖国神社参拝…第1次内閣含め初(読売オンライン:2013.12.26)

【やっと】の思いもあるのだが、【よくぞ参拝された】と、礼を持って称賛する。

これで少しは、自らの命を投げ打ってまで、日本国存続の為に尽くされた英霊達も、穏やかな正月を迎えられることだろう。

◆安倍首相靖国参拝 公明・山口代表、「残念だ」と不快感を表明(13/12/26)

■また、公明・山口代表の「残念だ」は、【何が残念なのか?】

民主党も同じ事を言っていたが、【正しい歴史観】を真に理解して頂きたいものだ。

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◆「何もしないと認めたことになる」地方議員団、慰安婦像に抗議の渡米 来月、賛同224人 全国に拡大(msn産経:2013.12.25)

素晴らしい!

国会議員が動かなくても、地方議員団で動いて頂ける。

まるで明治維新前の江戸幕府末期のようだ。

【濡れ衣を着せられ続けている日本人の心】は、我慢の限界に達している。

【地方分権、道州制】には大反対だが、日本国民が本気で行動しなければならない時代に来ている。

頑張って、大勢の議員団で【偽りの捏造歴史】を塗り替えて頂きたい。

拍手!

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◆日本の先端技術を用いた事業拡大、日露合意(読売オンライン:2013.12.26)

これも素晴らしい。日本の在り方はこうでなくては。

ついでに、[日露同盟]は米国と関わって来るので無理だが、【日露通商条約】くらいは交わされたら良い。

最近は、【中国包囲網】が悪のような風潮もあるが、とんでもないことだ。

あちらは明らかに【日本の占領支配】を狙っているのだから、その対抗策として、【中国包囲網】を敷くことの、どこが悪いのか!

日本を含めたアジア圏域の占領支配しようと目論む中国を、実行させない為の手段に過ぎない。

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【ちょっとだけ:社会】

◆百度ソフト、スマホ用も入力した全文を無断送信

百度に限らず、インターネット上では【プライバシーは無い】と思っていた方が良い。

【検索機能】だけでも、コンマ何秒で何万件も探すのだから。

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■どこかに書いていると思うが、【ネット相談】をしていた頃、私から見てだが、自殺を疑われる書込みがあった。

私以外には、誰も気付いていなかったが・・。

すぐに警察のサイバー犯罪課に連絡して、「絶対におかしいから調べて欲しい」とお願いした。

警察もすぐに動いてくれて、30分後には現地へ到着。

家の中には、睡眠薬を多量に飲んだ女性が倒れていた。早期の胃洗浄で、事なきを得た。

そして2週間くらい後に、「ご心配掛けました」と、丁寧な挨拶をされた。

他の者達は、何の事やら解らなかったと思うが、こうした【ネット相談場】では【微妙な言葉のニュアンスを、見過ごさない事】だ。


■そして、【IPアドレス】等から、容易に特定出来ると知って置いた方がいい。

無防備なブログなどには、【プライバシーは無い】と思っていた方が良い。

ちなみに、私の稚拙なブログでも、米国からのアクセスは50件程度あるし、多国に及んでいる。

勝手に、海外の[幸福の科学]の人達だろうと思っている。

出来たら、【ポチっと応援して下さいね ^ ^ 】

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【長い雑談】

■以前、TV出演や、新聞に載った話を書いたが、もうひとつ思い出した。

・・と言うより、思い出さされた(笑)

数日前から、TV録画のHDDをRに移しているが、その間、勝手にTV映像が映る。

「ガハハ」のお笑い番組など見たくも無いのだが、妻は好むし(笑)、勝手に映る。

そうした番組で、聞き覚えのある名前が出て来た。

TVに出ている人達なので、名前を出しても差し支えないと思うが、「大○保加○子」さんと言う人だ。


■正確な年月日は忘れてしまったが、10年程度前の話。

8時頃、仕事を終えて帰り支度をしていたら電話が鳴った。

「こちら、JFNです」

「突然ですが、○○という企画の電話インタビューに応じて頂けないでしょうか?」と言われる。

私が「いいですよ」と言うと、「それでは、10時に、大○保加○子から電話をさせますので、お待ち下さい」だ。


■当時の私は、TVはまったく見ないし、ラジオも地方FMだけだ。

だから、「こちら、JFNです」と言われても、何処の局だか知らなかった。

「約束だから仕方がない」と、10時まで待っていたが電話が来ない。

10時半くらいまで待っていたが、「イタズラ電話にダマされたかな」と思い、本当にシャッターを降ろして帰り掛けた寸前だった。

電話が鳴った。

「大○保加○子です。遅くなりました」と言われる。

心の中では(本当の話だったんだ)と思いながら応対、インタビューに答えていたが、約1時間、殆ど私の独断場だった(汗)

「お歳は?」と聞かれても、逆に「何歳に聞こえますか?」と言っていた(笑)

そして、「この収録は、1時から全国放送で流れます」と。

冗談じゃない!(笑)

それまで、ロクな取材を受けていないので、(また、その類か)程度にしか思っていなかったので、ラフ会話もいい処だ(汗)

電話を切るなり、急いで[JFN]を調べると、なんと![JAPAN FM NETWORK]だった。

FM放送の大元だった(汗)


(あの会話を本当に流すのか?)と、気になって帰る事も出来ず、系列のFM山口を掛けっ放しにして聞いていた。

そしたら、本当に真夜中に流れて来た(汗)

40分程度に編集はしてあったが、流して欲しくない話まで流されている(汗)

そして、「いやあ、ほんとうに楽しいおじさんでしたね」と、大○保さんに言われてしまった。

私としては、そうした番組で流されるとは思ってもいなくて、普通に会話しているつもりだったのだが。

よもや、その会話が、すぐに全国に流されるとは夢にも思っていなかった(汗)

まあ、その分・・妙な緊張も無く、ありのまま状態だったので、良しと言えば良しなのだが(笑)


■幸い?と言うか、深夜なので【(私の知人達は)誰も聞いて居ない】と思っていたが甘かった(笑)

一部の知人達には、しっかりと聞かれていた(汗)

その時流れて来た放送は、CD-Rに録音して居たのだが、行方不明。

店舗を変る時、私が入院していた為、息子と息子の友人達に任せて居たので、どこに何があるのかサッパリ分からない(笑)

未だに、分からないままのものが数多くある。

捨てられたのかも(汗)


それから10年前後になるが、当時、【どんな人と話したのか】が、今になって解かった(笑)

まあ・・何と言うか。言うべきかは、さて置いて。(あの頃の自分は、若かったなあ)とは思う(汗)


■そうした事の積み重ねで、無口でおとなしかった私は、どこかに行った。


2009年の[幸福実現党立党]時には、仲間達と辻立ちしながら、私がマイクを持って、勝手に喋っていた。

いつのまにか、自分でも考えられない自分になっていた。

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【10件に1件が、幸福実現党を支持?】

■もっとも、それは自分から見た自分であって、ある支部長に「支部長!私、辻立ちマイクで喋れるようになったんですよ!」と言った処・・、
【私は、あなたなら出来ると、最初から思っていましたよ】と言われた。

少しばかり拍子抜けだったが、他の人達には、そのように見えていたのだろうか?と、今でも思う。


■小・中学時代の恩師や同級生達からは、「お前を見たぞ」、「お前の話を家の中で聞いてたぞ」と、電話が掛かって来ていた。

取引先など、「あれだけ言えるなんて大したもんだ。なかなか出来やせんぞ」と称賛されたが、それがまた驚きでもあった。

誉める事の無かった人が誉めてくれるので、返事が出来ない(笑)

その年も、今年もだが、得票率では県下一だった。


とくに今年の場合、約5%の得票率で、10%狙いだった私としては不満足だが、最近になって、ある事に気が付いた。

5%と言うことは、
有権者20人に1人と言うことだ。

それに投票率を加味すると、30人に1人と言うことになる。

有権者平均世帯数が3人とすると、10世帯に1世帯の割合となる。

道行く家々の10件に1件が応援頂いていると思うと、素晴らしいことだと思い、心強くもあり、また感謝の思いに包まれる。

なんやかや言っても、裾野は確実に拡がっている。

今年は、そうした1年でもあった。




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Trackback [0] | Comment [0] | Category [雑感] | 2013.12.26(Thu) PageTop

◆【逆の発想と信頼関係】仕事時間の短縮は、ちょっとしたアイデアと、毎日触れ合う人達との信頼関係で、不可能が可能になった。


前回、[松山赤十字病院]の話を書いたが、以前に同病院での仕事時間を半分に短縮したと書いていた。

どうやったのかを書くのを忘れていたので、書き記す。


■私は、薬や器材を運ぶ[メッセンジャー]として雇用された。

6階建ての病棟(1.2.3.5.6.7)と、隔離病棟(8)、小児病棟(11.21)の3つの建物を、1時間に1~2回周る仕事だ。

普通は1時間に1回なのだが、緊急が入ると【緊急箱】に入っているカルテ等を指定の病棟に運ぶ。

1周が約500mだから、最低でも1日4Km以上歩く仕事だ。非常に体の運動に良い(笑)

(今は、こうした仕事は[エア・ジェットポンプ]で送られているし、最近では[電子カルテ化]されているので、殆どの場合、人力は必要ない)


■そうした仕事内容を、私と交代に辞める先輩に、順路や方法を引き継いで、同時に入った相棒と実際にやって見ると大変だった。

とても1時間では終らない。時間がズレ込み、10分、20分遅れになる。

午前中の仕事は12時~13時の食事・休憩時間まで食い込み、午後の仕事は5時では終らない。

そうした状態から始まった。

しばらくは、どんなに急いでも、どんなに努力しても、せいぜい1時間の仕事を1時間内に終らせるのが精一杯だった。

仕事が終ると、クタクタのヘトヘトだった。




「これではかなわん」と、私は一緒に入った相棒と知恵を絞って考えた。

そして、「(辞めて行った)先輩達に、教わった通りにやらなくても良いじゃないか」という視点から出発した。


■まずは、6階建ての病棟(1.2.3.5.6.7.で、4は無い)を、下から1階ずつ配達しながら、エレベーターで昇って居たが、【逆】を考えた。

その為には、民間会社が運営しているエレベーター・ガールの協力が不可欠だったので、思い切って彼女達に頼み込むと、快く引き受けてくれた。


■私が始めたのは、

・最初に1階の病棟へ配達する。【1階完了】

その後5階に運搬車を降ろして、そのまま6階までエレベーターで昇り、手荷物だけの配達品を届ける。【6階完了】
(6階は今の定期健康診断入院の階なので、運搬車が必要なのは5階から下だった)

・階段を駆け下りて5階の配達を終える。【5階完了】

・そして、5階のエレベーター前に運搬車を置いて「4階へ」、「3階へ」、「2階へ」と書いた紙を貼って、階段から4階に降りていた。【4階完了】

・3階も、2階も同じようにした。
【3階完了】、【2階完了】


要するに、最初に最上階に昇って、
手に持つ事が出来るものは手に持って、私達は階段を使って降りたのだ。

その間、エレベーター・ガールが私達の運搬車を引き込み、荷物に応じて4~2階に運搬車を押し出してもらっていた。

今思えば、随分とアツカマシイ事をしていたものだ(汗)

(今、こうした事をしたならば大変な問題になるだろう(汗)、当時は、私達の運搬車を気に掛ける人達は皆無だった。時代が良かったから出来たものだ)




私は、最上階から階段を飛ぶように駆け下りていた。

たぶん、他の人には真似が出来ないと思うが、1階16段の階段を5歩で降りていた。

4段越で飛び降りて、階段の踊り場で向きを替え、また4段越しで飛び降りる・・の連続。

[トン・トン・グルリ・トン・トン]で、1階が終る。その繰り返しをしていた。

だが、どんなに頑張っても、直降下するエレベーターには勝てなかった(笑)


こうした【逆】をするだけで、半分の20分程度で仕事が終っていた。

だから、あちこちの階に置かれている私の運搬車が、3分以上放置される事は無かったし、
エレベーターの隣が看護婦詰め所なので、事務をしている看護助手が見張ってくれていた。

だから、心配されるような事態は起きるべくも無かったし、前述のように、病院の運搬車に悪さをしようとする人達は皆無だった。




■私達は、それだけ素早い仕事をして居たが、エレベーター・ガールの協力があってこそだった。

この民間のエレベーター・ガールは、私達の仕事を手伝う必要は無いのだが、お願いすると、ふたつ返事(はい、OK)で引き受けてもらえた。

これも、毎日接する人との会話から培った信頼関係だった。


断って置くが、妙な勘ぐりはナッシング。

残念ながら(笑)、色好い話は無い。(・・それどころではなかった事は、自伝に書いている)

それでも男女の仲を超越した処に、私達の信頼関係が成り立っていた。

そういう時代【お互いに助け合う心を持つ人達が居た時代】でもあったのだ。




■また、相棒と【仕事の分担】をする事で、効率化を図った。

それまでは2人1組で仕事をしていたのだが、3つの病棟建物を2つに分けて交互にする事で、時間の無駄を取り除いた。

【逆の発想】、【他者の力を借りる】、【仕事の分担】で、1時間でも足りなかった仕事が、30分で終った。


驚いたのは、私達の直属上司の総婦長だ。

そして、「残った時間は、あなた達の力で産み出したものだから、自由に使いなさい」と言ってもらえたので、私は勉強、相棒は書物を読んでいた。

・・かっこいい(笑)

書きながら、かつての自分が為した事なのに、想い出としては残っているが、自分とは思えないエネルギーとパワーだと思う。


ちなみに今は、病院の階段を降りる時、(この程度の階段は一足飛びに降りていたのになぁ)と、一段ずつ踏みしめて降りている(笑)




■こうして、ちょっとした工夫と、毎日触れ合う人達との信頼関係で、仕事時間の短縮が出来た。

階段やエレベーターは、【下から順番に昇る】という普通の発想を逆にして、【上から降りる】という形を取った。

そして、良心的な人の手を借りて、【お手伝い】をして頂いた。

たったこれだけで、エレベータを待つ時間が無くなり、仕事時間は半分になった。


■その分、エレベーター・ガールの人の手を煩わせているので、色恋沙汰なしでの、ボーリングやスケート等で御礼をしていた。

物での御礼は、不器用な私には簡単なようで難しいのだ(笑)

次第にそうした輪が拡がって、看護婦さん達まで集まるようになり(汗)、男の私達の影が薄くなってしまったが(笑)

そうした人達とのプラトニックな【縁】は、私が山口に帰っても年賀状等で続いた。

今は、みなさん、どうされているのだろうか・・。




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Trackback [0] | Comment [0] | Category [人ありてこそ我あり(自分記)] | 2013.12.25(Wed) PageTop

◆【自分記:追伸】共産主義者との出逢いと相克。


久しぶりに2週続けて何でも言って委員会]を見たが、[櫻井よし子]氏が出て居られて、なかなか良いものになっていた。

ただ少し、津川氏の考えには同調出来る面と出来ない面がある。

改めて取りざたす程のものでは無いが、氏の中には【60年・70年安保反対世代】が持つ独特のものが漂っている。

大人になって、世間に揉まれた人でも、未だに若き頃に受けた洗礼が抜けきれて居ないのかと思わされる発言もある。

影響力のある人だけに、言葉は慎重にお願いしたい。




【松山赤十字病院】

1968年春、私は[松山赤十字病院]のアルバイト面接を受けた。

合格して職場案内されながら、「これから行かれる職場には、危険な思想の人達が居るので、惑わされないように」と、注意を受けた。

だが、当時の私(19歳)には、何を意味しているのか解からない。(暴)関係者か?と思ったくらいだ(笑)

職場は楽しく、和ごんだもので、私は、この注意された事をすっかり忘れていた。



■当然、職場には、労働組合もあったし、組合事務所もあった。

だが、アルバイトの私には関係ない。

昼休みや、就業後には組合事務所に行って、運動用具(バット、ミット等)を貸してもらっていた。

だから、組合長とも仲良くなり、何等も違和感を持っていなかった。





【共産主義者】

その夏、石鎚山中の【大川ヶ嶺キャンプに集まれ!】というキャッチフレーズの元、多くの職員さん達が参加されるので、私も加えてもらった。

2013-12-24-1-1.jpg 


私としては【夏の慰労会】のように思っていたのだが、とんでもなかった(笑)

[松山赤十字病院]だけでは無い。四国中の労働組合員が集るキャンプだった(汗)

キャンプファイアーを大勢で囲み、【労働歌:頑張ろう】の大合唱だ。

嫌でも憶えてしまう(笑)



■ま、当時の私は【毒にも薬にもならない男だった(笑)】し、病院内では知られていたので、キャンプ仲間に加えてもらえたのだろう。

もちろん、アルバイトなので労働組合への誘いも無かった。

ただし、商売屋に産まれた私にとっては、彼等の行動そのものが、違和感を超えた嫌悪感を憶えるものだった。



やがて、この[大川ヶ嶺キャンプ]を境にして、[松山赤十字病院]内で異変が起きる。

あちこちに【組合便り】が貼られるようになり、看護婦達の間でも【病院派、組合派】が囁かれるのが聞こえて来る。


私は、こうした、なんちゃら、かんちゃら派閥が、大嫌いだ。

だから与えられた仕事を、もくもくとこなしていた。

だが、【ただ事ではない、何かが起こるぞ】という予感はしていた。

組合、組合という言葉が頻繁に聞かれるようになったからだ。





【労働ストライキ】

ある日、いつものように職場に出掛けると、[松山赤十字病院]の玄関先で看護婦さん達が腕を組んで、【通せんぼ】だ。
(当時の[松山赤十字病院]では、アルバイトの私は、靴を預けて玄関から出入りしていた)


「○○君!今日はダメよ!仕事は出来ないよ」と言う看護婦さんの言葉に【ムッ!】とした私は、ピケを強硬突破をしようとした。


(俺はな、アンタ等と違って日給・時間給なんだぞ。俺の仕事のジャマをするなら容赦せんぞ!)
の思いで、力ずくで、押し倒してでも通るつもりだった。

そんな思いの私の様相が、いつもと違うのを察知したのか、看護婦さん達の顔色が青冷める。



■さすがに女性を押し除ける事は出来ないので、男共が固まっている処へズカズカと向かった。

本気で、この男共を押し除けてでも、強引に入るつもりだった。


その時、組合長が「通してあげなさい」と言ったので、事無きを得たが、押し合いへし合いにならなくて良かった。

もしも、病院内のヤワな男共と揉み合いをしたら、ケガ人が出ただろう。

彼等は、私の右手が10㎝ブロックを割る威力がある事を知っている。その男が、烈火の如く向かって来るのだから(笑)



その後の私はピケを開けてもらって仕事に入る。

いつも満員の外来はシーンとして静まり返っている。

(大手病院が、こんな真似をして良いのか?)と、怒りと疑問がゴチャゴチャになりながら静まり返った廊下を歩いていた。


・・が、廊下を曲がったトタンに、眩しい光で前が見えない。

(なんだ?なんだ?)と思いながら進むと、TV(南海放送)のカメラ撮影だった。


その直後のニュースから、【松山赤十字病院で就労条件改善を求めてデモ騒ぎ】が報道。


【誰も居ない外来】と写し出された中を、私1人が歩いていた(笑)

1日に何度も同じ場面を報道されるので、あちこちから「○○君!TVに出てたよ」と言われる(汗)

これが私の最初のTVデビューだった(笑)



この看護婦達のストライキに大きな疑問を抱いた私は、労働組合長に私信を出した。

匿名で、思いのたけを書いたのだが、労働組合長とスレ違うと「ニヤリ」と含み笑いをされた(汗)


出す前に、相棒に見せて是非を問うたのだが、「こんな事書くのは、○○さんしか居ないんじゃないの?」と、とりあえずは称賛されたものだった。

もしかしたら、彼の言う通りだったのかも知れないと、今でも思う事がある。



■書いた内容全部は思い出せないが・・、

【大病院の医療がストップするストライキは、間違っている】

【労使交渉が決裂したのなら、実力行使に出る前に、世間に訴えるべきでは無かったか?別の方法は無かったのか?】

【患者の迷惑に対しては、どのように責任を取るつもりか?】等々、書き綴った。

(この時の手紙や資料は残してあるはずだが、倉庫の山積みの下になっているようで、探したが見付ける事が出来なかった)





【全学連と学生集会】

この頃は、【1970年安保】と呼ばれる時代でもあり、愛媛大学の屋上から火炎ビンが投げ落とされるのを目撃している。

だが、夜なので顔も見えない。(卑怯者め等が)と思いつつも、どうする事も出来なかった。

もちろん昼間であっても、愛媛大学の敷地に入る事は出来ないが、私はとにかく、そういう【かぶれた輩】が大嫌いだった。



友人に、「ちょっと来いよ」と一緒に行ったのが、当時の流行だった【学生集会】だった。

正直、彼等の話はバカバカしくて聞くに耐えなかったので、(早く終らないかな)と、余所事を考えていた。


そしたら、幹事にあたる者が「○○君、君は何も喋らないが、何か意見を言え」と言う。


「俺はいいよ」と言っても、「せっかく来たのだから、思った通りを言え」と言う。



■やむなく、爆弾炸裂だ(笑)

「俺は商売屋の息子だぞ。はっきり言うが、俺には、お前等の言う事はサッパリわからん」

「みんな平等だと?何がだ?」

「汗水たらして働いた者も、怠けた者も同じ賃金かよ!そんな事が、日本で通るかよ!お前等、甘えるんじゃないぞ!」


ギャアギャアとウルサイ反論が始まった
(笑)

「やかましい!・・まあ、ちょっと俺の話を聞けや」

「お前等、親から仕送りしてもらって大学行って、こんな事やってるけどな。俺は、昼間働いた金で、自分の力で勉強してるんだぞ」

「お前等のマルクスのやり方が正しいと思うのなら、いい事教えてやるよ」


「ブルジョアだっけ?俺から見たら、お前等こそがブルジョアなんだよな。だから俺に、明日のパンを持って来いよ!」


全員が黙ってしまって、場はシーン。

そうした面白い?事もあった(笑)



■この場には、暴力学生が居なかったので、こうした口も利けたが、角材振って、石や火炎瓶を投げるような輩が居たら、逃げ出しただろう(笑)

ただし、そうした輩が怖いのでは無い。ケガをさせてはいけないから、そうした輩と戦うのが怖いのだ。


一度だけ角材持った学生と一触即発状態になったが、私と友人ふたりと彼等とでは、かなりな体格差があるので、ふたりとも負ける気はしなかった。
(この友人は、後に警察官になった)

争いにならず、自然とそのまま別れた事もあった。



こうした、今の世界各地の暴動のようなものが、かつてのこの日本でも起きていたのだ。

今ではバカバカしい話だが、マルクスに被れた者達は、本当に「北朝鮮が夢の国」だと思っていた。

この日本でも、そうした学生同士の国内内乱の時もあったのだ。



■やがて、そうした学生達の殆どは、一時の熱病から醒めて社会に入るが、ごく一部の者達は地下組織となって動いている。

私の高校同級生でも、一人は大手企業に勤めながも公安に目を付けられていると噂を聞くし、一人は地下組織に入って現在も行方不明だ。


それも、【頭の良い奴】が、そうなっている事が不思議でならない。

高校時代は、頭だけでなく、心も良い奴だったのに・・。




【】

経済は、共産主義⇒資本主義⇒社会主義と変遷して来たが、今の日本は【社会主義国家】だ。

社会主義とは、マルクス共産主義に修整を加えたものを言うが、大元では共産主義と大差無いので、間違われやすい。



共産主義の特長は、現中国を見たら解りやすいと思う。

一党独裁で、全体主義国家が多い。(多かった)



共産主義の修整されたものが社会主義だが、本物の修整にはなっていない。

どちらも【神仏】を否定し、【唯物論国家】を形成している。

それが共産主義や社会主義の大きな間違いだ。



■日本人は、米国見習いの資本主義社会だと思っているかも知れないが、現状は【世界一の社会主義国】になっている。

韓国も社会主義国だし、米国も資本主義国家から社会主義国家へと向かっている。


平行して、
【神仏を否定】する人々が増えて居るので、天上界の神々の怒りは頂点に達している。


とんでもない時代になってしまったものだ。





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Trackback [0] | Comment [0] | Category [自分記] | 2013.12.24(Tue) PageTop

◆【段取り8割】経営感覚を持つ人は、他者からの聞く耳持つ。他人と同じ全力疾走でも、2割のポイントを押えれば5倍の仕事をこなせる。


「今年も残り僅かになりました。来年もよろしくお願いします」。

・・は、日本の恒例挨拶ですが、この恒例が、いつまでも恒例である事を願っています。


「来年こそ日本奪還しましょう」では、困りますからね。

日本の人達に、そうした言葉が出ないようにと、私は私なりに頑張り続けます。




■私の心の中には、いろんな【夢】や【希望、理想】で溢れている。

だけども・・


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

◆大きな成功をした人は、たいていの場合、自分の夢が小さすぎたことを後悔しています。

『忍耐の法』第2章より

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「本日の格言」で、昨日送られて来た言葉だが、【ドキッ!】とした。


私の場合、大きな成功とは言えないが、【自分の夢が小さすぎたことを後悔しています】は、その通り(汗)

◇「本日の格言」メールマガジンの登録フォーム


■私は人並以上の【夢】を抱いているつもりでも、【その夢が現実化】した時点では、いつも一瞬の喜びに過ぎなかった。

すぐに(この程度で・・)の思いが出て来るので、【現状に満足していない自分】が居る。

欲張りだ(笑)


子供の頃から、【現状維持】の同じ状態がズーーー-ーっと続くと、胸のあたりが苦しくなっていた。

その苦しさを、どのように表現したら良いのか考えながら書いているが、【自分の胸を掻きむしるような、何とも言えない苛立ちを含んだもの】だった。

その時、その時点では、べつに何かに焦っているつもりも無いのだけど、時折そうした奇妙な感覚に襲われていた。


そうした自分を客観視すると、【停滞を嫌う自分が居る】ことに気が付いた。

とにもかくにも、【現状維持が大嫌い】な性格ゆえに、波乱万丈の人生経験をするハメになったのだろう(汗)




■学業でも、運動でも、仕事に置いても、どんなに必死で努力して頑張っても、達成感や満足感は、ほんの一瞬のものだった。

すぐに、(まだ俺は100%の力を出していない)の思いが出て来るし、(まだまだ本当の俺の力は、こんなものではない)のような、うぬぼれた思いも出て来る。

だから、世間からはそれなりに評価されても、自己評価としては【手抜きしながら、それなりに成功した】感が強い。

だからと言って、決して自虐的な自分では無い。

やっぱり欲張りだ(笑)


世間では【全身全霊を尽くして】と言う言葉があるが、私には当てはまらない(汗)

正直な処、学業や運動で褒められても嬉しく無かった。

結果は残しても、その過程で【手抜きしている自分自身】を知っていたからかも知れないが、よく解らない。

仕事に於いても、その時々での大人の仕事以上の結果を出して、その過程でも人並みの数倍のエネルギーで働いたが、得られた達成感は一瞬のもの。

すぐに、次なるステップに踏み込んでいた。


■いや、正確に言えば、そうではない。

ひとつの仕事の成功を目差しながら、同時に、その仕事が成功した時の為の次のステップを【同時並行】で行なっていた。

今、こうして書いて見ると、新規事業計画は、すでに成功した前提になっている(汗)

若かったから、こうした無謀な事も、平気で考えていた(汗)


■ただし、決して【猪突猛進】型ではない。

タイムスケジュールを作って、区切って、計画的に行なっていた。

だから、父親の負債(今の額にして1億円)は、30歳までには完済するというタイムスケジュールから入り、2年間前倒しの28歳で完済し、さらに積上ていた。




■妻を嫁にする時も、同じだった。

私の現状に合う嫁とは・・、を考え、自分の嫁になる人は(こういう人)だと、明確に描いていた。

見合い話も何度か来たが、その中には(こういう人)は居なかった。

伯父が亡くなり、通夜の席にいた時、(こういう人)が目の前に現れた(笑)

それが、今の私の妻だ。


だからいつも、妻からは【知能犯】だの【略奪犯】だのと言われている(汗)

犯罪者かよ!

我慢だ、我慢(笑)


・・は、いつもの通り冗談だが、私の場合、妻を娶るにしても、タイムスケジュール並の理想像】を作っていた。

決して、一夜漬けの好いた惚れたでは無い。




[チャンスの女神]は、後髪が無いと言われている。

だから、過ぎ去った後に、「あっ!」と気が付いても、[チャンスの女神]の髪は掴めない。

これは、私には非常によく解かる。


多くの人は、この話は知っていても、掴もうとしていない。

そして、あれこれ自己正当化を始める。


[チャンスの女神]の髪を掴むには、【段取り】が大切だ。

【段取り8割】は、単なる言葉のアヤでは無い。


【段取り8割】をしていれば、【2割の大切な部分の仕事】をするだけで良い。

ところが世間の人達の仕事振りを見ていると、【段取り2割で、8割の時間】を割いている。

時間の無駄だ。


【段取り名人こそ、仕事の達人】とも言えるかと思う。

その段取りの中には【整理整頓】も入っている。




■数日前から、DVD:HDDの残量が無くなったので、DVD:Rに移している。

よく考えてみると、これが、私の記憶術でもあると気が付いた。


普段は、HDDに記憶したもので、いろんな事に対処しているが、やがて限界が来る。

その時、HDDからRに移して【整理整頓】して置けば、【無限:∞】も可能だ。

HDDにも【空き容量】が出来るので、新しいものが記録出来る。


あとは、必要に応じて、【整理整頓】されたRの中から取り出せばいい。

もちろん、この世的な、DVD:Rを買う予算もあるが(笑)

【心の領域】では関係ない、【無限:∞】だ。


■DVD:HDDに置き換えて話をしているが、実生活でも同じようなものだ。

HDDが満タンになったから、【もう入らない】と言う人の多いこと。

そんなことは無い。


まずは、そのHDDをRに移す時、【必要なものと、不必要なもの】に分ける事だ。

【必要なもの】のみRに移し、【不必要なもの】は捨て去る。


・・この分別が出来ない人が、まずは、ここでつまづく。

どれが大事か分からないので、全部残すか、全部消してしまう。

随分と悩みながら、無駄なことをしている。

仕事も、記憶も、【段取り、取捨選択、整理整頓】をするだけで、ずっと効率が良くなる。


2割の勉強のポイント、2割の仕事のポイント、を押えただけで、8割の成果を産み出す事は可能だ。

・・前述の私のような、それぞれに全力投下していない自分を知っているので達成感は無いが(汗)、それでも全力投下している人の5倍の仕事は出来る。


どちらが自分の好のみに合っているかは、ご自分で選ばれたら良いが、少なくとも【経営者側】に居る人達は【段取り8割】を忘れてはいけない。

各々の仕事に全力投下出来るタイプは【使われる側】の人であって、それはそれで充分な力を発揮されたらいい。


ただ、社長クラスがそれをやっていたら、仕事は停滞し、後退し始める。

社長クラスの人達は、【段取り名人】を育てることが、会社の発展に繋がる。




■ただ・・、【段取り名人】を育てると言っても、【育てる意識が強い人⇒育てる名人】でないと、会社は永続しない。

一人の社長が、十人、百人の【段取り名人】を育てれば、会社の業績は比例して十倍、百倍となるのだが、なかなか難しい。

私が見て来た一代社長で終わる会社は、後継者作りが出来なかった会社だ。

息子を大学に行かせたのはいいが、余計な知識でHDDの空き容量が無くなったままでは、本当の意味での後継者は育たないだろう。


それはまた、【二世議員達にも言える】。

子供の頃には、親の真似事から出発するのは良し。

大学、社会に出て、知識・経験の吸収をするのも良し。

ただし、親の跡を継ぐなら、一端HDDを移し替えて、大きな空き容量を持つ器から入る事だ。

これが出来ていない人達が、非常に多い。

だから大人になっても、親の真似事をしている。

親の栄光=未来の栄光では無い。

未来は、親の栄光を超えた処から出発する。

私は、身を持って、そのことを実感している。




■【起業家精神】とは、そうした【甘えの無い処】から出発した者が得るもの。

その為に大切なものは、【聞く耳を持つこと】だ。

とくに、目上や成功者からの意見には、聞き耳立てるくらいに【素直な心】が求められる。



■数日前のTVで、「強い精神力ですね」と言われたイチロー選手は【自分は強くない。むしろ弱いと思っている】

【自分の弱さと向き合あっている自分こそが、もしかしたら強い自分なのかも知れない】と言っていた。

【4000本ヒットを打ったと絶讃されますが、それは素直に嬉しいのですが、僕の中では8000回失敗した思いが残っているのですよ

3回に2回は失敗しているのですよ。その失敗を「悔しく無い」と思ったら、僕の野球人生の終わりの時でしょうね】と、話していた。
(細かな言葉の違いはご勘弁。おおまかなニュアンスだけを伝えています)

その通りだと思う。

あれだけの偉業を成し遂げたイチロー選手でも、決して【満足していない】のだ。

【今よりまだ先がある。まだまだだ】の思いがあるからこそ、強い精神力が鍛えられ、極端に言えば1日でも先に【夢】を見る事が出来るので、努力出来る。

イチロー選手のように、【過去は過去】として捉えられる人は、大成する条件を備えている。




また、不断の努力は大切だが、やみくもな努力は【徒労】にもなる。

今回のエル・カンターレ祭での御法話【智慧の挑戦】は、聞かれた人達への福音だ。

死して残るものは、持って還られるものは【智慧】しかない。



■物質文明が栄えた現在、【物質がすべて】、【科学文化がすべて】と思っている人達が殆どだ。

だが、よくよく考えて頂きたい。

新品の電化製品を買って、生活は便利にはなる。私はそれを否定するものでは無い。

だが、その新品の電化製品は【永久不滅】の物だろうか?

今、住んでいる家やマンションが、1000年後にも残っているだろうか?

今、使っている、あらゆる【物】が、1000年後、2000年後に残っているだろうか?


■私は、中学2年の時、こうした事を考えて、大人達にも聞いていた。

【ワッハハ、残っているわけないじゃないか】と、大笑いする大人達。

まさに仏教の教えの【三宝印のひとつ:諸行無常】なのだが、中学生の私が知るはずもない(笑)

そして、「この本も、この校舎も、この教室も、100年先には無いではないか!」

「何十億年先には、この地球さえ無いだろう。やがて必ず消滅する」

「なのに?なぜ今、こうして何のために俺達は努力しなければならないんだ?なぜに俺達は生きているんだ?」
と、真剣に悩んでいた。


この【未知なる恐怖との戦い】は、小学生から高校生まで続いた。

【未知なるもの】だからこそ怖いのだ。【知っていれば、怖くも何ともない】

これが、智慧ある者と、そうで無い者との違いでもあるだろう。


■私は、幸いにも?若い頃からそうした恐怖を味合って来た。

そして、[幸福の科学]に入信し、それらの恐怖の正体を知った事で、若き頃の悩みの殆どが消え去ってしまった。

今では、何で悩んで居たのか思い出すだけでも大変だ(笑)

なにせ、大人達には【どうでも良いこと】を、勝手に悩んで居たのだから(汗)


■だけども、そうした恐怖を味合って、なんとか乗越えて来た私と、【何も考えないで過ごして来た者】とでは、45歳の時には大きな開きがあった。

申し訳ない言葉だが、同級生達が幼稚に見えて仕方が無かった。

この45歳の一同に集った時、私は、それまでの【伏流水】のような自分から、一気に世に出た【飲料水】の如くに感じたものだ。

その時から数えても、すでに20年(笑)経つが、先般の参議院選では、この時の同級生達の殆どが味方になってくれている。

【人の縁】を大切にして来た私は、大きな掛け替えもない宝物を手にしていたのだと、気付かされた。




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Trackback [0] | Comment [0] | Category [未別] | 2013.12.22(Sun) PageTop

◆【雑感】ムー・ポセイドンとピグマリオ。手塚治虫とSF世界。かつての趣味道楽仲間からの叱咤。


◆大川隆法総裁の法話「智慧の挑戦」をテレビ・ラジオで放送




■月遅れで、【アトランティス文明】と【フィリピン台風の霊的真実】を見せて頂いたが、とても面白かった。

[ムー・ポセイドン]の話を聞いていると、若い頃読んだマンガの[ピグマリオ(和田慎二)]を思い出した。

もしかしたら和田慎二氏も、霊的インスピレーションを受けていたのかも知れない。

[ピグマリオ]は、神々の世界を表現したマンガだが、【荒神】が多かった。

和田慎二氏が描いた[ピグマリオ]の中での双子のポセイドンは、兄弟仲が悪く、兄弟喧嘩のお陰で天変地異を起こしていたように描かれていた。

それを主人公の子供の姿をした全能神が、仲直りさせていた。

主人公の全能神が、行く先々で出逢う民族神と仲良くなり、彼等を味方に付けながら、強大なる母を倒しに行くストーリーだったと記憶している。

その母も、個体から双子のように分裂した、光の面を持つ白い母と、闇の面を持つ黒い母だった。

登場する神々は【荒神】ばかりだが、マンガと云えども、なかなか面白くポイントを突いていて読み応えがあるものだった。

[幸福の科学]の次元構造で言えば、[地獄界や裏側の世界]が多かったが、【ハッピー・エンド】で終わっていたのが印象的に残っている。


■【フィリピン台風の霊的真実】の[ムー・ポセイドン]の話は、すべてに置いて納得が出来る。

台風や自然災害で、地上人達に【警告】と言うスタンスを取る民族神も居るようだ。

私自身は、なぜか、この[ムー・ポセイドン]とは親和性を憶えてしまう(汗)

台風進路のワガママを言う事も聞いてもらえるし(笑)

それで、【中国大陸へ向かう台風が増えている】のだと納得する。


無神論国家がいつまでも、延命や台頭は、各地の民族神が許さないと言うことだろう。

それは、我が日本でも同じこと。

神々の【警告】が、【最終警告】段階に入った今、人類は【さらなる輝き】を求めるのか、このまま海の藻屑と消えてしまうのか。

それは私達、地上に生きている人間次第でもある。




■前回の【アトランティス文明】の話から、あらためて【次元構造】を考えていると、ふと【0次元】を思い出した。

SFの世界にしか登場しない【0次元】だが、【プラスの性質を持つ1~高次元世界】があるのなら、【0次元】や【マイナス次元】は?と考えてしまう。

とくに【0次元】とはなんぞや?と、若い頃考えて居た事を思い出した。

そして、もし【-3次元世界】があるとしたら、どんな世界だろうか?と、想像が膨らむ。

[-1000立方m]という世界だが、あり得ない(笑)

だが、「あり得ない」と思ったら、それでお終い。

[-1]×[1000立方m]としたら、数式上では、あり得るのだが、この[-1]が問題になる。

ここに無理矢理[虚数]を入れて良いのかどうかも解らない。

だが、子供の頃から考えていた【パラレル・ワールド】が、なんとなくだが身近に感じられる(笑)


■子供の頃から変わりなく、そうした、たわいのない、くだらない事を真剣に考える私だ(汗)
こうした話を始めると、誰からも相手にされない(笑)

師と仰ぐ[手塚治虫]氏もそうだった。
私の人生の基礎にあるのは、[手塚治虫]氏の恩恵が大きい。

晩年の[手塚治虫]氏の悩みは、【SFマンガを描かせてくれる出版社が無くなった】ところにあった。

当時の私も、残念でたまらなかった。

なんとか【三つ目がとおる】で古代マヤ文明を描かせてもらえる程度で、殆どは【ブラック・ジャック】のようなものを求められて居た。

描きたいものが描けない悲哀を、随分と苦悩されたようだ。

思う存分にSF世界を描かせていたら、[スピルバーグ]氏以上のものが描かれたと、私は勝手に思っている。

私は、[手塚治虫]氏が描くSF世界の中に、【この世のヒント】を見付け出していたので、残念でならなかった。


■[幸福の科学]に入信し、驚いたひとつに[手塚治虫]氏と同じ、いや、それ以上の思想が入っていた事だった。

殆ど仮想のSF世界と思われていた事が、【実際にあること】だと知った時の喜びは、「我が意を得たり」の感じでもあった。


【0次元】や【-3次元】は、私には解らないが、想い描くことは勝手だろう(笑)

遠からず【宇宙人】との交流が始まったら、私の疑問も解けると思う。

生きている楽しみのひとつでもある(笑)




■生きている楽しみ・・で思い出したが、私は男の三大道楽には縁が無く、「お前は何が面白くて、何が楽しみで生きているのか?」と聞かれた事は多い。

私自身は、結構、道楽をしているのだが(笑)

ただ、私の道楽は、世間一般の道楽とは違う。

仕事柄か?性質か?は分からないが、【消えて無くなる消耗品のような道楽】は嫌いだった。


3日前に、知人から[切手趣味の会報]が届き、よく見ると、もうすぐ30周年になると書かれていた。


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1985年に、私が創った同好会なので、創設時の事は私しか知らない。

それで、30年前当時の寄稿を書くことになった。

そして[切手収集・研究]は、【たかが切手】では無く、高度な知識を持つ人達の集まりを目差して、当時の私は支部を創った。


2013-12-20-2.jpg 2013-12-20-3.jpg 

私的事情で後任に譲り、私は去ったが、レベルは維持されているようだ。



■その時、電話で話しながら、「あっ!そうだ!」と、目の前に置いてある防府での【エル・カンターレ祭】のチラシを見ながら、思わず口に出た。

「(遠いので)あ、いい、いい」と言うと、「何だよ、ちゃんと言えよ」と言われるので、「防府でエル・カンターレ祭が・・」と言うと、叱られてしまった(汗)


【ワシはな、あなたから頂いた本で、ワシなりに幸福の科学を理解しているつもりなんだがな】

【だから家族中で、あなたの政党も応援しているのに、水くさい】

【そういう催しものがあって、行って欲しいのなら、そのように言えよ】
と(汗)

こうした私の趣味道楽であっても、この方のように能力の高い人達に逢えて恵まれて来た事が、「私の人生の楽しみ」でもあった。

自分より能力の高い人達と向き合える楽しみは、男の三大道楽などとは比べようも無い。


今回は、思いも掛けない言葉に驚きながらも、そうした過去に蒔いた種が果実となり、そろそろ熟れて居るのかも知れないと感じたものだ。

完熟かも(汗)




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Trackback [0] | Comment [0] | Category [人ありてこそ我あり(自分記)] | 2013.12.20(Fri) PageTop

◆【光と闇の相克】今の日本は、真理文明(心)と物質文明(物)の相克の時代。心を忘れた物質文明の醜さには、天上界も黙っては居ないだろう。


 
 【過去記事移動】 過去、このブログに書いている中で、今でも使えそうな話を移動します。 - 2013年12月17日のブログより。



10回に渡って、大雑把な【自分記】を書いて見たが、[幸福の科学]に入信して、こうした私記を書ける自分になれた。

自分の人生や、身内の恥を晒したくは無いのだが、私が終始一貫してつらぬいて来たのは【至誠の心】だ。


【至誠の心】は、幼き頃より教えられて来た。

だから嘘は書けない。



■[八重の桜]でも使われたが、吉田松蔭が処刑直前に、【至誠にして動かざる者は、未だ之れ、有らざるなり】と言っている。

孟子の言葉からだが、吉田松蔭の座右の銘でもある。


直訳すれば、【誠意を尽くせば、心動かされない者は、未だかって居ない】と言う意味だ。

私も、この言葉は幼稚園頃には教えられて居た。そして忘れていた(汗)


[八重の桜]を見て、一気にタイムワープして、言葉を思い出した。

私自身は、言葉そのものは忘れていても、その中身のなんたるやは、エキスの部分は掴んで居たと思う。



■また私は、【王道】と言う言葉が好きだ。

ちなみに反対語は【覇道】。


[幸福の科学]に入り、【人生の王道を語る】のテープを憶えてしまうくらい、何度も聴いた。

難しい事を平易に語られている【礼・知(智)・信・義・勇・仁・徳】の七つの徳目は、子供の頃に教えられた[孔子の十徳]から取り上げられたものだろう。


それを[幸福の科学]の総裁は、ただ右から左に語られるのでは無く、解りやすく語られながらも、さらに重厚な中身にされて教えられている。

今回の【エル・カンターレ祭】では、この中の【知(智)】の部分が、【智慧の挑戦】として、平易に語られている。



■世の中には、【簡単な事を、難しく語る】人達が多い中、[幸福の科学]の総裁は、【難しい事を、平易に語られ続けている】

出来そうで出来ないものだ。




【考える力】

例えば、【1+1=2】、【1×1=1】だ。

【これが何を意味しているのか、日本語で説明しなさい】と聞かれたら、あなたは、すぐに答える事が出来るだろうか。

どういう風に説明するのだろうか。

このように当然と思っている事でも、まったく別の角度から質問された時、【1+1=2】、【1×1=1】が本当に理解出来ていないと答えられない。



私の知人の会社では、【I(電流)=E(電圧)/R(抵抗)を、日本語で説明しなさい】のような、面接があるようだ。

「最近の大学生達は、マトモに答えられない」と嘆いていた。


目先の数字を追い掛けるだけで、意味が本当に解っていない証拠だ。


ちなみに私が答えたら、「そう、それが正解」と言って居たが、私が勉強したのは【半世紀前】だ(笑)

カビが生えている(笑)

・・はずだが、現役学生が老いぼれに負けてはシャレにもならない。



■私も、仕事には必要無いのだが、例えアルバイトでも「考え方の柔軟さと、努力の証し」を知る為に、次のような質問もしていた。


【aX2+bX+c=0、から「解(根)の公式」を導き出しなさい。無理なら「解(根)の公式」を言いなさい】


【元素記号を言えるだけ言いなさい】、【円周率を言えるだけ言いなさい】等々。


30人以上に同じ事を聞いたが、マトモに答えたられたのは、私の娘ひとりだけだ(汗)


円周率なんか、「3.1・・えーと、の状態だ」(私の高校時代は、15桁まで言えるのが普通だった)

娘でも、「解(根)の公式」を導き出す事は出来なかった。


日本は、そこまで学力が低下しているのかと驚いたのが、20年前。

今も、さほどは変らない。



生活上、必要無いと言えばそれまでだが、これは【基礎中の基礎】だ。

最初の、【1+1=2】、【1×1=1】を、日本語で説明しなさい】と同じだ。


そうした一見生活上役に立たないものが、【知識の安定感を産む】。

[幸福の科学]で教えられている【蓄積の原理】であり、【不動心】という安定感を産み出す【無用の用】だ。



■ちなみに、この【無用の用】は誰でも知っていると思っていたら、私の同級生達でも知らない者が居た。

確かに教科書で習ったような記憶が無いが、人生行路のどこかで知ったのだろうか?




【記憶術】

記憶術とは言えないが、【もの忘れした言葉】を思い出す時、私は、【あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ・・】と、先頭の言葉を探し出す。

そして、「確かに、か、だったぞ」と思ったら、【かあ、かい、かう、かえ、かお、かか、かき、かく、かけ、かこ・・】とやってみる(笑)

私が中1の時に考え出した方法だが、大人になった今でも使っている。

いや、むしろ今の方が多いかも(汗)



■そうして過去の記憶を引き出しているので、当然、直す時にもバラバラにしたままでは無く、整理整頓を心掛けている。

整理整頓さえして置けば、【憶えて置く必要が無いからだ】。


必要に応じて、分類された引き出しだけを探せばいい。

だから普段は忘れている。


最近は、どこに直したのかも忘れて居るが(汗)

パソコンという便利なものが出来たので、なんとか保てている(笑)




【整理整頓】

私は、子供の頃から整理整頓が大好きだった。

机の引き出しの【分類】どころか、【順番や方向】まで決めていた(笑)


だから、母親がコッソリ机を開けようものなら大変だ。

「机開けて、爪切り出しただろう」と、スグに私にバレてしまうので、「長男の机は、オチオチ触れやしない」と愚痴っていた(笑)

この頃からの習慣が、やがて大人になって、大いに役に立った。



■税務署はいつも突然現れるが、最初に言う言葉は【現金出納簿と現金を見せて下さい】だ。


私は、帳簿の点検は、何十年間、一度も欠かした事は無い。

だから、すぐにパスで、税務署に追徴課税など受けた事も無い。税務署も殆ど【直帰】だ。

だから、TVドラマの【倍返し】の理由が解らない(ほんとうです)。




【ちょっとだけ、政治】

そうした私から見れば、猪瀬都知事の【借用証】は、子供染みている。

あんな物見せたら、「私は怪しい人間です」と言っているようなものだ。


都知事の進退まで言いたく無いが、2020年の東京オリンピック招致の人物であるだけに、これ以上、醜態を晒して欲しくない。



■徳洲会問題は、自民党議員にも及ぶかも知れない。

◆徳洲会マネー、97国会議員に 献金・融資1282万円

ウワサされている議院達は、生きた心地もしないだろう。

私としては残念だが、これも「身から出た錆」だ。



■[特定秘密保護法]成立で、安倍総理が苦しい立場に立たされている。

だけども私は、【ミサイル防衛】には欠かせないものなので、成立を支持する。


国会前のデモ運動は、そうした事が嫌な人達が始めたものと推測する。

そもそも、国会前のデモ運動参加者には、何のデモだか知らないまま、面白そうだからと、加わっていた人達も少なく無い。

なんだか、70年安保闘争の過激な部分を取り去ったものに思えてならない。



■[みんなの党]から離脱した江田氏達は、[民主党]に近い考えを持つ人達なので、政党創っても、やがて自然消滅するだろう。

比例区議員ばかりの政党が、成り立つはずもない。



■東国原氏の件は、TVで大騒ぎする程のものではないが、彼がポロポロ語る中から概要が見えて来る。

東国原氏の地方を大切にする考えには賛成だが、それが【道州制:地方分権】にまで行くと、行き過ぎだ。




【ちょっとだけ、社会】

[JKビジネス]なるものが横行しているようだが、根本的な解決策は【宗教心】にある。

[いじめ]もそうだが、[JKビジネス]で困っている人には、まずは【日記を書く】ことをお勧めする。


私は、いじめに関与した先生方には、毎日の「日記を書く」ことを勧めている。


加害者には、その日記を省みる事で、【反省心】が産まれる事を期待している。


ストーカー加害者の場合、【思い込み過剰で、自分自身を客観視できない状態】に為っているので、冷静になる為の手段でもある。


被害者は、日記を書くことで、解決に繋がる事も多い。




【ちょっとだけ、ではなく、かなり不満】

KRY山口放送ラジオでの、【御生誕祭放送】が、中止になった。

私のブログのトップ表紙を作る時、(この企画、流れるのじゃないかな)と、少々不安を覚えたが、ほんとうに、そうなってしまった。

私が、KRY山口放送には、過去にも苦い経験を何度も味合わされているからかも知れないが・・。



■20年近く前、ある1時間番組の半分の30分の企画を持込まれた。

私は【他の処へ行って下さい】と断ったが、結局、私が番組に出るハメになった。

このブログでも書いたが、私が、ある業界の先駆者だからだ。

やむなく引き受けたが、夕方の番組だと言うのに、1時半頃から10人程度の大人数で準備していた。



■私は私で、自分の仕事を休んで、数日前から番組制作への準備をしていた。

そして、【リハーサル前の流れ】を聞いていたら、突然【本番です!】の声。

結局、番組の流れを聞いただけで、リハーサル無しの本番だ(笑)

その時のテープは息子が撮っているが、未だに怖くて見られない。



■番組終了後は、スタッフ達が後片付けして、「これは御礼です」と、タオル1枚を頂いた。

KRY山口放送にとっては【番組に無料で出してやる】という思いがあったのかも知れないが、私が依頼したのでは無く、頼み込まれたのだ。

私が断ったものを、無理矢理に「撮らせてくれ」とお願いされたのだ。

仕事を休んで番組制作に協力したのだから、当然【番組出演料】をもらって当り前の事だが、タオル1枚だ(笑)



■この頃の私達出演者3人の総月収は200万円はあった。

準備と本番の2日に換算すると、10万円の報酬は頂いても可笑しくはないはずだ。

これだけを見てもTV側には、一方的で高飛車な考え方がある事が伺える。



■また、サブ店舗出店で、たまたま見付けて入ったのが【空き店舗対策の店】だった。

他の【空き店舗対策の店】は、内装全部と1年間の家賃をもらっていた。

だけども私は、商工会議所から「予算が無くなった」と2ヶ月分の家賃をもらっただけだ(笑)

もっとも、そんなものがもらえるとも思って居なかったのだが。

そして、私以外の県内の【空き店舗対策の店】は、援助が切れると同時にやめてしまったようだ。



県内で唯一生き残った店として、東京から[さくら銀行系のさくら調査機関]や、KRY山口放送が取材に来たが、両者の態度は大違いだった。


[さくら調査機関]は、懇切丁寧に取材され、結論として「援助は無くても大丈夫な店だったのですね」と言われ、終始なごやかに会話出来た。


ところが地元のKRY山口放送は、何の取材に来たのか解らないほどの無愛想な人達だった。

突然来たかと思うと、メモも取らず、いきなり「はい、カメラ」では、何を言うのかも解らない。

【何の取材に来たのか解らない、何を言うのかも解らない】のに、カメラだけ勝手に回す。

そしてそのまま、無愛想に出て行った。


夕方の番組では、切り貼りされたものが映し出されていた。

もちろん、ニュースに出してもらうのだから(頼んで居ないけど)、ノーギャラだ(笑)


ちなみに、[さくら調査機関]からは、お土産と取材料を頂いて居た。

この違いは、何だろう?

別に、お金に拘る訳では無いが、両者の【誠意】がまったく異なっていた。



■さらには、数年前の周南市で行なわれた「不登校フォーラム」で質問した時、KRY山口放送とNHKがマイクとカメラを向けて来た。

そして、質問内容が、自分達の思っている事と知るや否や、サーっと引いて逃げてしまった。

両者とも失礼極まりない。

そして夕方のニュースでは、私と反対意見の人達の映像が流されていた。



選挙に至っては、何をや言わんだ。

KRY山口放送も、NHKも、【幸福の科学/幸福実現党】に対しては、もの凄い【言論圧殺】だ。

最近少しは変化の兆しが感じられたが、まだまだのようだ。



■こうしたKRY山口放送のような横暴なマスコミ媒体は、とっくの昔から、国民の知る権利を隠し、自分達の都合の良い事しか伝えて居ない。

それで居て、重要な【秘密保護法】には、言論の自由が守られないだのと、ケンケンガクガクだ。

だが、自分達は、とっくの昔から自局内に【国民に知らせない法】を創っている。


民主主義国家の最前線が、いまやオソロシイまでの言論抑圧機関になっている。



■今回のKRY山口放送は、そうしたものから脱却されて、真の情報機関に戻られたと思っていたが、違ったようだ。

こうしたマスコミには、何度も言って来たが、【報道の公正裁判】を掛けないと、衿を正さないだろう。


すでに、知り合いの企業のCMはネットに移したが、大手の企業も検討して頂きたいものだ。


たまたま、KRY山口放送の悪口ばかりになってしまったが、殆どの媒体でも同じことだ。




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Trackback [0] | Comment [0] | Category [時事雑感] | 2013.12.17(Tue) PageTop

◆【自分記:最終回】‹堕ちる処まで堕ちないと分からない者達›に囲まれた人生だったが、まだまだこれからだ


 
 【過去記事移動】 過去、このブログに書いている中で、今でも使えそうな話を移動します。 - 2013年12月12日のブログより。



時代劇で、「おのおの方、【殺気】でござる」と言う場面を見られた人は多いと思うし、言葉は知っている人も多いと思う。

ただ、その【殺気】が何かは、本当にある事かは解らないのでは・・、と思う。




【気と念(念波)】


【気】が付く単語は、数多くある。

殺気の他に、

人気(ひとけ、にんき)、邪気・無邪気雰囲気強気・弱気勝ち気・負けん気呑気・・と、ちょっと思い付いただけでもこれだけある。

病気もそうだ。



この【気】は、【気の持ち主】であり、【念】に置き換えたら解り易いかも知れない。


【念】とは、【念い】であり、【念波(念いの電波)】でもある。

【気】を、【念いの電波】に変換すれば、邪気なら邪の念いの電波となり、どうして伝わるのか解るかと思う。




人間は、【念】で、微弱電流を創り、微弱電波を流している。

測定出来るものでは無いが、【脳波】は測定出来る。

そこに、微弱電流・電波がある事が解かると思う。

そうした【念いの電波を、発信する人も居れば、受信する人も居る】って事だ。




■霊能力者でなくても、武士のように【心を研ぎ澄ます修行】の達人域になれば、物陰に隠れている者が放つ【殺人念波を受信出来た】と思う。

私も母親との葛藤の中で、【身を護る手段として、体中にアンテナを張っていた】ので、かすかな物音や気配を感じ取っていた。


だから、昔の武士が言う【殺気】も解かる気がする。

江戸時代の武士の頃は、今のように車が通るわけでも無く、シーンとした静けさの中に潜む【殺人念波】は、達人となれば感じ取れたと思う。




【スイッチのオン・オフ】

ただ、どんな達人でも、どんな霊能力者でも、スイッチのオン・オフをしないと、オン時に使うエネルギー消費で、疲れ切ってしまうだろう。

それは、勉強やスポーツでも同じだが、緊張状態・集中状態の継続は、個人差はあっても、それぞれに限度があるからだ。

私も経験があるが、屈強なプロレスラーでも、体中の緊張を緩めているオフ時には、腹を殴る小学生の一発でも倒れてしまうとの事。




優秀な霊能力者は、このスイッチのオン・オフが上手いものと思える。

そして、雑念波が飛び交う中では、スイッチをオフにして置かなければ、祭り太鼓が響き渡る中の居るような感じかと思っている。


一般の人でも、心のスイッチのオン・オフが上手くなれば、極端に言えば【敏感な時と鈍感な時】との使い分けが出来るようになる。


問題は、スイッチ・オン状態が続けば、体力・精神力が保てなくなると言うことだ。




■私は、子供の頃、このスイッチ・オン状態が続いて居たので、軽ノイローゼ状態になってしまった。

いろんな人達が発する、あるいは霊界から来る【想念波】を、フィルターなしの無防備のまま受信してしまうのだ。


だから、「やばい」と思ったら、スイッチを切れないのなら、チャンネルを切り替えていた。

【楽しいこと】を考えるようにと、自然となっていた。


世の中には、こうしたスイッチのオン・オフが出来なくて、あるいはチャンネルの切り替えが出来なくて苦しんでいる人達も多々見掛ける。




■私も経験があるが、病の時には何事にも敏感になってしまう。

そこに悪しきモノとチャンネル(波長)が合った場合、憑依されたりの霊的作用を受ける事も少なくない。



世の中の自称霊能力者(とくに女性に多い)には、病気を縁にして、霊障になっている人達も少なくない。

そうした人達は、他人に見えないモノが見えたり、聞こえないものが聞こえたりするので、自分では霊能力者だと思っている人達も少なくない。


こうした人達が気を付けなければならないのが、心のスイッチのオン・オフだ。心のチャンネルを切り替えることだ。


私は[幸福の科学]に入り、自然とそうした事を憶えて来た。

普通の人より多少は敏感なので、見たままの事を言えば奇異に思われる(笑)ので、言葉に出さず黙して居た事は少なくない。




■そして、【悩み相談(いじめ相談含む)】に出た時、心のスイッチがオン状態では、【マズイ】と思った。

悩み相手が抱えているモノが、文字を通して飛び込んで来るのだ。


だから次第に、心のスイッチのオン・オフが出来る自分になっていた。

さらに選挙となると、もう心のチャンネルは、もろ3次元波動だ(笑)


心のスイッチのオン・オフどころか、オフ&オフ状態だ(笑)




■5年前の選挙時には、なかなか【元の状態に戻らない】ので、困った。

とうとう支部長に相談したら、「私もです」とアッサリ言われた。(笑)

(みんな一緒なんだな)と安堵した。(笑)




【気と空気】

話が脱線している(汗)

私は霊能力者では無いが、【気】は感じる、察する。


静かな家で、静かな時間帯に考え事をするのが好きなのだが・・、

そんな時、外出から帰って来た子供達が持って帰る、荒々しい雰囲気を察知する事は度々だった。


精妙な空間に、荒々しい空気を持つ者が入って来るから、場の空気が変わる。

だから、側を歩く子供達が、どうした場所に居て、何をして居たのか位は、醸し出す雰囲気で解かる。


正しき信仰を持ち、曲がりなりにも信仰者として生きている者にとっては、たとえ子供達と言えども、信仰心無き者とは大きな隔りがある。






【なぜか?弟は経済的に攻めて来る、と感じてた】

【母親は精神的に、私を攻めて来る】は前回まで書いたが、【弟は経済的に、私を攻めて来る】は、巧妙なものだった。

本来の弟の性格は天真爛漫な男だったのだが、父親の死を境にガラリと変わってしまった。


私が大きな問題をすべて片付けて、松山に2年と入院の1年を合わせた約3年間の【家を護る役目】は弟には負担が大きかったようだ。

私から見たら、大きな問題はすべて片付けて居たので、何がそんなに負担なのか?と思うのだが、『俺には兄貴の真似は出来ない』と名古屋に行って、行方不明。(笑)



■妹から、弟の私が居なかった間の事を聞くと、【暴れる男】になっていたようだ。

「S兄ちゃんね、(暴)に入り掛けたのよ。大きい兄ちゃんが帰って来るのが遅かったら、あの男の仲間になって(暴)になってたよ」と言う。

・・情けない。

そんな弱い男だったのか、・・と思いつつ、弟は名古屋の製陶工場に就職した。

この就職が、その後の弟の人生を狂わした。

(その名古屋の製陶工場は、数年前に北朝鮮に輸出禁止の物資を作り摘発された工場だった)




■やがて弟は約2年間所在不明になり、連絡も付かない。

そして、2年後、いきなり「明治大学に行くから、4万円(今の額にすれば約50万円)の入学金を出せ」と言って来た。


『そんなお金があるはず無いじゃないの!』と母親は電話で話していたが、私が話を聞いて「解かった。お金は俺が出す。頑張れよ」と、お金を送った。



その後は、明治大学で学んで居るものとばかり思っていた。

弟に言わせれば『学生運動で大学行っても門は閉まっていた』と言う。


そして、どれだけ勉強したのか知らないが、トコロテン的に卒業し、九州の食品会社に入った。

時代は高度成長期に掛かり、5年後には年収は300万円にもなっていた。(当時の平均年収は200万円)


ひとり暮らしだったから、かなり貯蓄が出来ているはずだが、弟からは『金が足らない、金が足らない』の電話が入る。

税金の督促状まで持って帰るので(笑)、母親は嘆いていた。



■そして盆に帰って来た時、『お前の弟をワシにくれ』という、私が基礎母体を創った会社に就職した。


この時私は、3月に妻と結婚していたので、その秋には、弟が転がり込んで帰って来た。

当時の私と母では、1ヶ月に必要な米は微々たるものだが、2人分食べる弟が帰るなり、3倍の米が要る(笑)


弟が帰って居るのを知らない、お米屋さんの【おタクの嫁さん、もの凄く食べるんだね】は、今でも伝説の言葉になっている(笑)

それほど弟の【食】に対しては、常に飢えている感じを受けていた。




母は、弟には金は持たせず、弟の給料全部を取って、弟には小遣いだけを与えて、残りは全部貯金していた。

「弟に任せていたら、全部使ってしまう」とのこと(笑)

それで弟は、数年後には結婚出来た。

母親のおかげだ。




もちろん結婚したトタンに、二人の男の面倒を見る事になった妻のおかげは大きい。

妻は言う。

「私は、あなたの嫁に来たと思ったのに、食事は弟さんの為に作っていた」
(笑)

この頃の私は、自分記に書いていたように、ロクに食事も摂れなかったのだ。




■この、一緒に生活していた頃、念の為にと、自堕落な弟に釘を差した事がある。

その時点で、【裕福な兄貴と貧相な弟】の構図が出来ていたからだ。


もし、その時点で、弟が【マルクス主義者】と知っていたなら、私の選ぶ道はまったく違っただろう。


私は弟に、「この家屋敷と財産は、親父が残した負債を、俺独りで返して得た物だからな。お前は、この家の財産をもらう資格は無いからな」

「お前は今まで、1円でも親父の負債返済に協力したか?俺から借りた金すら返してはいないじゃないか」

「だから、この家屋敷と財産は、俺が働いて買い戻したのだからな。間違っても財産分与など考えるなよ。お前達は法的にも財産放棄してるんだぞ」

弟は、「分かってる、すまん」と言っていた。




■その後結婚した弟夫婦には、前もって、こうした釘を差して置いたにも関わらず、
私には言えないので、妻に「財産分与の権利」を主張していた。

私が
「父親の財産は借金だぞ。そんなに借金が欲しいのか?」と伝えて以来、家に寄り付かなくなった。




【事後報告】


それから、5年経った頃、「兄貴、印判を押してくれ」と、いきなり弟がやって来た。

「何事だ」と言うと、【家を買ったから、保証人になってくれ】と言う。


私は、「家を買った?だから保証人だと?俺に一言も無く、勝手に家を買うのか?今のお前の給料では無理だ。やめて置け」と言うと、

弟は、「もう手付け金を打って、契約して来た。保証人があれば買える状態なんだ」と言ってローン返済プランを見せる。


私は、「やめて置け。このプランでは無理だ。毎年支払額が上がっているじゃないか。どうするんだ」

弟は、「大丈夫さ、毎年のベースアップでやれる」と言う。


私は、「お前な、ベースアップは当然じゃ無いんだぞ。会社が不景気になったらどうするんだ?」

弟は、「大丈夫。その時には社長が家を買って貸してくれる事になっている。だから兄貴は保証人になってくれ」と言う。



私が何度も、「まだ家の購入は早い。このプランでは無理だ」と言っても聞かない。




■「そもそも、俺に一言の相談も無く、お前と社長で決めたのなら、社長がそこまで言うのなら、社長に保証人になってもらえ」と、突っぱねた。

そして私はその社長に電話した。

「いったいどうなってるんだ!あんたなぁ、俺との約束守れよな。あんたは俺に【弟には家を買ってやるから連れ戻してくれ】と言ったじゃないか!」

「なのに、困ったら家を買ってやるだと?俺はそんな話はしていないぞ!あんたが弟の保証をしろよ!」

そこの社長は私より10歳上だ(笑)


困った声で、泣き声で、「女房が説得出来んので、すまん。約束は守るから、今は保証人になってくれないか」と言う。

「あんたなぁ、【約束】って、どういうものか知ってるか!まだ弟には家は要らん!いい加減にせんかい!」と、突っぱねた。


その後「契約破棄したら手付け金が戻らない」だの、あれこれもめたが、最終的には、その社長が責任を持つと言う事で、私は保証人の判を押した。



それから3年で、弟は、その会社を辞めて、再び私の家に転げ込んで来た。

だが、結婚しても預金ゼロ(笑)。

元社長との約束も、弟が会社を辞めたので反故。

すでに家は購入し、毎月の住宅ローンが覆いかぶさる。



■私は弟に、家に戻って来るのなら、「1.000万円の預金と、500件の取引先。月5千万円の売上が見込めるなら」と、条件を付けていた。

だが、『預金ゼロ(笑)だけど、500件の取引先は確保している。月5千万円の売上はそれ以上行く』と言う。

「その500件の取引先を見せろ」と言うと、元の会社から持って来た取引先一覧を見せる。


「お前、この取引先が全部、お前に付いて来てくれると思っているのか?」

弟は、『絶対に大丈夫』と言う。


「お前はとにかく甘い見通しで、自分が思った通りになると思って居るぞ。世の中、そんなに甘くはないぞ」

「今まで順調に来たのは、お前の力では無いぞ」

「俺があそこの基礎を創り、お前が入ったトタンに競争相手が倒産したから、独占状態になったからだ」



「だけども、そこから飛出したら、そうは行かんぞ。競争の中に放り出されるぞ」


「だから、お前には無理だ。新しい就職先を探してやるから、そうしろ」と言っても、【絶対に、仕事は成功出来る】と言って聞かない。




【】


この時点で、弟家族を見切って、見捨てていれば、今の私は無かった。

悠々自適の日々を送って居るだろう。

信者も1支部が出来るくらい増やして、実現党支持者も当選するだけの支持者を増やして居るかも知れない。

・・決してオーバーな話はしていない。



■だが現実は、この弟に完全に騙されてしまい、「金くれ、金くれ、金が、金が」と、弟が作り続ける借金の尻ぬぐいをするハメになってしまった。



この時の私の気持ちとしては、大人の弟夫婦なんてどうでもいい。

だが、甥っ子や姪っ子が路頭に迷う事だけは避けたかった。



私のその甘さに見事に弟はつけ込んで、私から金品を奪いとる日々が続いた。

奪い取るだけでは無く、私の知らない内に私の印鑑を使い金を借りていた。




この弟は、【堕ちる処まで堕ちないと分からない人間】だと知り、いつ切ろうか、いつ切ろうかで、とうとう15年の歳月が流れた。

その間、弟が作った借金は1億円程度になる。


とうとう弟は、自殺未遂を起こした。

それをキッカケにして弟の会社を破産させた。


弟夫婦を高利貸しから守る為に、自己破産をさせた。


とうとう、ほんとうに、堕ちる処まで堕ちてしまった。




■なぜに、私がそこまでしたのかと言うと、自分でも解からない。

ただ、今になって思うに、「あれで良かった」と思っている。

単なる、お情けではない。

弟の性格には、自己破壊念がある。

もし、援助をしなかったら「一家離散どころか、一家心中」までやってしまう男だ。

それだけは、何としてでも避けたかったのが、ほんとうのところだ。


実際、一家心中するには子供達が大きくなっていたので、単身自殺を試みた。

試みたと書いてはいるが、ここでも奇跡現象が起きて、眼が醒めた。


家族や妹達にも、「身内から犯罪者を出さなかっただけでも、良しとしよう」と言うと、『うん、そうだね!ほんとうにそうだね!』と言ってくれる。

憎らしいのは弟ではなく、弟を変えた思想だった。




【そして】

5年前、「お前の自己破産は高利貸しから守る為だったのだから、破産期が解けた今は、お前の借金返済を手伝えよ」と言った時だった。


『ワハハハハ、兄貴、俺はマルクス主義者だぞ。すっかり騙されただろう』


「そうか、それで解かった」


自分の借金返済の手伝いは、マルクス主義者なら無理だろう。

【金持ちを引きずり降ろして貧乏人にする】のが、彼等の役目と思っているからだ。

その意味での弟は、見事に目的達成した事になる。


「・・まあ、お前が(暴)に入って、他人を殺めたりするよりはマシだけどな」


『ワハハハ、兄貴、(暴)なら、すぐ近くに中学同級のMがいるぞ』


バカモン!誰がそんな話をしてるか!」

「そのMの姉貴と俺は友達だぞ!姉貴の苦労を教えてやるから今すぐここに連れて来い!」

「お前は、そんなに人を騙して面白いのか!そんなに俺をおちょくって楽しいのか!

「いい加減にせい!」


私の「いい加減にせい!」の言葉が出た時は、本気で怒っている時だと知っている弟は、うつむいたまま黙してしまった。

この弟も、私が本気モードになった時の怖さを知っているようだ。



■先日、弟に大金貸してくれている私の友人に、「弟は少しずつでも返す気が無さそうだから、あなたから弟を裁判に掛けてくれないか」と尋ねた。

友人は、「まあ、こんなご時世だから、しかたないな」と言ってくれては居るが、そうした事が、今の私の手枷足枷になっている。



■事実上は、すべて弟の負債だが、知ると知らずと、印鑑付いて保証人にされてしまった私の責任でもある。

だから私は、こうした友人達への遠慮もあって、大袈裟な動きが出来ない。


「あの男は借金も返さないで、宗教にのめり込んでいる」と、要らぬ事を言われたくないし、幸福の科学の信用を落としたくない。



■だけども、デフレのこの時、同業者の9割が総崩れしている中でも、勝ち残っているだけマシだと思いたい。

今の私は、そうしたジレンマと戦っている。



■同業者が倒産・廃業しても、私は、まだまだ飛躍出来る案は持っている。

案を具体的にして出す度に、資金力のある同業他社に真似られて先を越されては居るが、何のそのだ。


16歳の時ほど体力は無いが、最後の最後まで残ってやる。


すでに日本一にはなったが、日本で最後の一店舗になるまで残ってやる。


そんな気持ちで仕事をしている。



【追記:2017.04.03.】

ビックリするような母や弟だが(笑)、今では母は天国に、弟は必死で働いている。

弟からは、マルクス思想は抜けた。

そして、恵まれた家族や親族が居ることに感謝の念は耐えない。


この話を書いて3年経ったが、同業者が全滅の中、売上は3倍増まで伸ばした。

デフレ下で、どんどん同業者が消えたり形を変えている中、淡々と頑張っている。

もう若い時のような無理は効かない(笑)




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Trackback [0] | Comment [0] | Category [自分記] | 2013.12.12(Thu) PageTop

◆【考える事の楽しさ】暗黒物質(Dark Matter)と虚数が関係していると知り、またまた宇宙が面白く、楽しくなった。


今朝起きて、(どうして?山口県には災害が少ないのかな?)と、いろいろ考えていたら・・、突然、【降魔型エル・カンターレ像】と、心の中に浮かんで来た。

と、同時に、山口県内の[幸福の科学各支部]と、夏の大雨被災地の位置関係が浮かんで来た。

急いでパソコンに行き、山口県内の各支部と、その支部が管轄する地域に円周上の光を当ててみたら、こうなった。

2011-12-11-1.jpg 

水色の部分が夏の大雨被災地。
もっと上手に、地図の上に光を当てたかったのだが、不細工になってしまって、ご勘弁。


2011-12-11-2.jpg  

そう言えば、山口県だけでも5支部に5体の【降魔型エル・カンターレ像】があるのに、東北震災時の東北5県で、2体しか入って居なかった・・。




やっと【アトランティス文明/ピラミッドパワーの秘密】を観る事が出来た。

とても内容は面白いのだが、女性には苦手な分野かも知れない。

霊言も、他の方と違って小林早賢さんだけは嬉しそうな顔で質問されていた(笑)

私も、面白く観せて頂いた。


長い間、原子核とその周囲を回る電子の間には、何も無い【無の空間】とされて来た。

ミクロの単位で言えば、原子核と電子だが、太陽系規模に直したら、太陽と惑星にあたる。


■何年か前、原子核と電子の間に、ある特殊放射線を放射したら【エネルギー】が発生したと、新聞に載っていた。

これで、原子核と電子の間は【無の空間】ではなく、見えないエネルギーが存在すると仮定された。

物理学は、発見も大事だが、その発見を裏付ける証明が為されなければならないので、未だに仮説で終わっている。

私は、その仮説は正しいと思って来た。


なぜならば、宇宙空間で【光の減衰】があるからだ。

太陽系の惑星は、太陽の光を反射して、自ら光を放っていないのに明るく見える。

だが、何万光年から届く光は、自らが輝く恒星だ。

そして、遠くになればなる程、その光の輝きは小さくなっている。

長い間私は、この【光の減衰】の理由を知りたかった。

宇宙空間に漂うチリに反射されて、少しずつ減衰するのかも知れないが、それだけでは無いような気がしてならなかった。

そこに、ミクロの分野で原子核と電子の間は【無の空間】では無く、見えないエネルギーが存在する仮説が出た。

マクロに置き換えたら、宇宙空間は【無の空間】では無いと言うことになる。

そちらの方が、余程、納得が行く。


■また、暗黒物質(Dark Matter)の存在も仮説としては言われて来たが、その発見も出来ていない。

暗黒物質が、何であるかも解っていなかった。

今回の霊言では、【I" = -1 ("は2)】と言う虚数の世界が存在し、それが暗黒物質(Dark Matter)と関連していると言われている。

すごく納得出来るし、面白い(笑)


■数ⅡBで習った(数Ⅲだったかな?)、【I" = -1 ("は2)】と言う虚数は、実在するのだろうか?・・と、思っていた。

数式の世界では存在するのに、物理学では実在の証明は為されていないものを、何故、勉強しないといけないのかとも(笑)

考えれば考える程、虚数と言うものが面白くなり、解らなくなっていた。

今回の霊言で、虚数の世界が実在する。暗黒物質(Dark Matter)と関連していると教えられた。

それで、宇宙空間での【光の減衰】があるのだと思った。

ひとつ胸のつかえが降りた(笑)




私達は、【縦・横・高さ】の3次元世界に生きている。

仮説ながらも、時間を加えた4次元世界がある事は、SF(Science Fiction)の中でも使われている。


1次元世界は、【点・線】の世界だ。

実際には、点を打とうが、線を引こうが、面積が出来るので、理論上はあるとしか言えないが。


2次元世界は、【縦・横】の世界だ。

本やTV・映像の世界だ。

私達は、3次元世界に生きていながら、この2次元世界を眺める事が出来る。


マンガ本に登場する人達が死しても、ページを遡れば生きている。

TVドラマでも同じこと。登場人物が死しても、再生すれば生きている。

本やドラマの結末では死しても、3次元の者にとっては、何度でも甦させられる(笑)

2次元世界の人達からは、作者は創造主であり、神様のように思えているだろう・・と想像したりする。


■そうすると、3次元世界に居る私達は、4次元世界の存在から同じように見られて居るかも知れない。・・と、若い頃から私は考えて来た。

[幸福の科学]に入信して、それが実際に存在すると知り、新鮮な喜びを憶えたものだ。

誰も教えてくれず、子供の頃から考えていた答えを頂いた事が、すごく嬉しかった。


4次元世界は、【時間】が加わる世界。

だが、【時間】とは何か?と、時間の正体が解らない。

時間を、3次元の立方体が連続するものと考えれば、【線状・棒状】のものになる。


私は中学生の頃、大きな釘に銅線を巻いて電磁石やベルを作っていたが、その時から不思議に思っていた。

なぜ?銅線をグルグル巻くと、そこに陽極と陰極の磁場が出来るのかと。考えても解らないので、出来るから出来ると思うようにしていた。


小学生の頃、電線工事が終わった跡には、銅線が落ちたままに為っていたので、私達子供はそれを集めて小遣い稼ぎをしていた(笑)

私だけが拾った銅線をクルクル巻いて、丸いボールにして居た。

買ってくれるおじさんから「中に石が入ってないだろうな」と言われて驚いたが、そのように考える大人も居るのだと知った。

私は、その人の目の前で、ハンマーで叩いて潰した。
そして、何十円かもらった(笑)

また、祖母の糸巻きを手伝って、丸い球にしていた。

そうした事から、もし【時間】が、このような球体だったとしたら、と考えるようになった。


■何が言いたいのかと言うと、【タイム・ワープ】が、この球体やコイル状の時間であれば、可能となり得るからだ。

コイル状であれば、直線を進まず、隣の線に飛べば早いからだ。電気だったらショートしてしまうが(笑)

球体であれば、もっと長い距離を簡単に移動出来る。

子供の頃から、そんな事ばかり考えていた(汗)


■大人になってからは、ドラえもんの[どこでもドア]は、瞬間移動なので、その原理を考えた。

そして、【今いる座標=移動先の座標】とする事で、瞬間移動が可能だとの仮説を立てていた。

それを[幸福の科学の総裁先生]が、御法話の中で、「ハンカチの端と端をくっつけて、このようにする事で可能です」と言われて驚いた。


私の仮説は当たっていた。

後出しでは無い証拠に(笑)、当時の女性会員さんに「このタオルのね、ここからここまで一番近い距離は?」と聞いたら、

「こうするのでしょう」と、端と端をくっつけられてビックリ仰天。

「どうして知ってるの?」と驚きながら聞いたら、「御法話で観たよ」と言われて、すぐに拝聴に行った経緯がある(汗)

彼女にしたら、御法話を観ていない私が知っている事に驚いたようだが・・。


そのように[幸福の科学]には、私の長年の疑問の答えが出揃っていた。

私は、それゆえに入信した。

心弱いでも無く、病でも無く、私の人生の中では最良の時に入信したのだ。


そして、入信後は(ここの諸先輩信者さん達には、とても適わない)と知り、勉強嫌いな私が、猛勉強をする(笑)

仕事をしながらテープを聴くので、1日中が真理の勉強勉強だった。

一度に詰め込んだので、どの御法話に、どの話がされていたのか解らないが、とにかく毎日が新鮮だった。


■それからの私は、【奇跡現象】が相次ぎ(今もだが)、すべては思い出せない程だ。

【奇跡現象】が当り前のようになっていた。


病弱の頃に、座禅の無念無想の瞑想の真似をしたら、【地の底に引きずり込まれる】感覚になり、何度やっても同じなので断念した事がある。

それが[幸福の科学]に入信して瞑想時間になると、今度は逆に【右ナナメ上に引っ張り上げられる】感覚を憶え、慌てて瞑想を解いた(笑)事がある。


病弱の頃の【地の底に引きずり込まれる】感覚の中での瞑想は、断念して居て良かったと思う。

だが、逆の【右ナナメ上に引っ張り上げられる】感覚があった頃、そのまま続けていたらと、惜しく思う(笑)

おそらく、私に及んだ数々の奇跡現象は、「早く気付け」という、守護霊のサインでも有ったのだろう。





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Trackback [0] | Comment [0] | Category [信仰と我が人生] | 2013.12.11(Wed) PageTop

◆【自分記:第9回】争い事は嫌いだが、向かって来た者には容赦しない自分。・・そうしなければ命すら危ういものだった。


 
 【過去記事移動】 過去、このブログに書いている中で、今でも使えそうな話を移動します。 - 2007年2月11日のブログより。



猪瀬都知事。

あなたの言葉には疑問点が多過ぎますが、どうか【目的(達成)の為には手段を選ぶ人】であって下さいね。

ちなみに、日本の経済社会での、手書き領収証は【5000万円】では通りません。

手を加えられて【5900、5800、5600、50000、500000】に成り得るからです。

正式な手書きは、【一金五阡萬円也】と書きます。

都知事なら、ご存知の筈だと思うのですが・・




【余談】

【貧・病・争】は、どれも嫌だが(笑)

【争】は特に嫌なものだ。

私自身は、決して攻撃的な男では無い(と思う(笑))が、向かって来るなら戦う男だ。



■最近、あるネット知人に、「半沢直樹」と位置付けられたので、「何、それ?」と聞いた。

人気TVドラマの主役らしいが、【倍返し】が、お題目のようだ。


妻に、「倍返しって、当たっているかもな」と言うと、「当たってないよ」と言う?

【あなたは、倍返しではなくて、爆弾返しでしょうが!】

「・・・・・」

「そんなはずは無い」と反論したいのだけど、なぜか言い返せない(汗)

優しい男のはずなのに(笑)



■「怒らせたら怖い男」、「敵に回したくない男」、それが私のイメージのようだ。

・・何人からも聞いた言葉だが(汗)


普段はおとなしい男が本気モードになると、逆上せずに冷静に攻め込むので、確かに怖いかとは思う。

滅多に本気で怒ることは無いが、【間違ってる】と思ったら容赦しない処もあるので、常に自重しているつもりだ、が(汗)




【争】

【争】の大半は、母親だった。

母親との葛藤は、随分書いて来たので割愛するが、おおまかな話だけは書き記す。


私の母親は、【瞬間湯沸かし・ポット型で、豹変する】ので手が付けられなかった。


怒鳴る、暴れるは可愛いものだ。

包丁持って、本気で刺そうとして来るのだから、こちらも本気にならないと危険だった。



■何が母親をそうまでさせるのかと言うと、おそらく間違いなく【悪霊・悪魔の憑依現象】だ。

普段は人の良い母なのだが、「カッ!」となると、トタンに人が変わってしまう。


別人になる。

それも凶暴な別人になるのだから(笑)、家族はたまったものでは無かった。


私が3歳の時、夫婦喧嘩で、私は母親に抱きかかえられ、包丁を私に向けて「この子を殺してやる!」と叫びながら、大暴れした事がある。

それ以来、父親は、『お前達の事を思って、ワシはもう(母親には)何も言わん』と言っていた。



■憑依された時の母親は、本気で私を殺そうとしていた。

家族の中で私にだけ、だ。

母親に憑依している悪霊か悪魔は、(暴)とそっくりだった。


私は、なぜに、かくも(暴)に狙われるのだろう(笑)

・・と、本気で思ったことがある。



■幼少時から小学生までは、父親が防波堤になってくれたので、新聞の三面記事にはならなかった(笑)


中学からは、私の方が体格も出来たので、母親は包丁を振り回す事は少なくなった。

簡単にネジ伏せられるものだから、諦めたのかも知れない。


だけども、口だけは達者なものだ(笑)

「わりゃあ、ブチ殺すぞ!」、「おんどれが(お前が)寝てる時に殺してやる!」・・

とにかく、ブッそうな「殺す」と言う言葉が、簡単に出て来るのだ。


一緒に生活している実の母親から、殆ど毎日、そういう言葉を聞かされたら、あなたはどう思うのだろう、どうするのだろう(笑)



■私は、そうした母親の元で育ったのだ。

「よくぞグレなかった」と、自分を褒めてやろうかな。

誰も褒めてくれないから(笑)

ま、いい魂修業をさせてもらったものだ。

・・疲れたけど(笑)




【未来館での不可思議な涙、そして奇跡】

私は、2000年の[幸福の科学:総本山]での[ミレミアム祭]で、不思議な体験をした。

未来館に1晩泊まり、翌朝、【太陽の瞑想】があった。


私はそこで、太陽ではなく、青白い月のような光を見た。

(なんだ、太陽ではなく、お月さまじゃないか)と思ったトタン!


その光が、私に向かって来たと思った瞬間!

【パァー】と光が拡がり、映像が出て来た。

実際は、映像なんてものでは無くて、現実に目の前で起きている感じだった。


■見たことのない笑顔の母親が、未来館の茶話室で、みなさんにお茶を注いでいる場面だった。

(ああ、これが本当の母親の姿なんだな)と思って観ていたら、なんと!私は泣いて居たのだ。


自分では泣いている感触はまったく無かったのだが、胸にポツンと何かが当たったので、下を向いたトタンにドバーっと、涙が床に落ちた。

気が付くと、私のカッターシャツの首から胸は、涙でビショ濡れだった。

私は、自分で気付かないまま、母親の映像を観ながら泣いていたのだ。


◆仮面の母


上記の通り、そんな母親でも、[幸福の科学]の信者になったら、まったく豹変しなくなった。

未来館の映像で観た通りの母親の姿になっていた。


2年前、母親は他界したが、無事に天国に還っていると知り、安堵した。




【悪意ある者】

話は代わるが、以下はネット上で見掛けたものだ。

元信者です。宗教界のオレオレ詐欺・犯罪教団 幸福の科学の悪事を暴きます。


ちなみに、ここに書かれている人物は、私では無い。

私は、人様を「地獄に落ちろ」とは絶対に言わない。



この筆者は、間違った事を述べているので、真実を伝えようと思っているが、なかなか踏ん切りが付かない。

彼のような粘着タイプは、一端関わると、付きまとって来る鬱陶しいタイプなので、大の苦手なのだ。


かつての母親とそっくりだ。

だが、私の人生を一転した記念日の出来事を、こうまでネジ曲げられては困る。

迷惑だ。



■職員が下着泥棒したのは事実だが、本当の宗教職員かと言えば、違う。

ある職員さんが、【総本山と未来館を行き来するバスの運転手】として、2~3ヶ月前に連れて来た人だ。


だから、職員と言えば職員にはなるが、断じて、総裁先生のお抱え運転手では無い!

大型バス免許を持っていた無職の人を雇っただけだ。


怒りを通り越して、笑わせてくれる。



総裁先生の車の運転は、並の人には絶対に務まらない。

私の支部に居た支部長が、総裁先生の地方巡錫の運転手を頼まれて、断ったそうだ。

体調・心境が万全でないと、務まらないそうだ。


多くの信者を導く支部長であってそうなのだから、数ヶ月前に雇った人に務まる訳が無い。

そんな事すら解からない人が、もっともらしく大嘘を述べている。



このバスの運転手のお陰で、2000年ミレミアム祭は、【中止】も囁かれていた。

そこに、総裁先生が来られて「明日(のミレミアム祭)は、どうするのですか?」と聞かれたようだ。


私は、その言葉を聞いて、総本山の総裁先生を探し回った(笑)

真面目な話なのに脱線してはいけない。(汗)



■総裁先生に尋ねられた館長さん達は、「(ミレミアム祭を)やりたいです。やらせて下さい」と、言われた。

「それならば」、と、総裁先生は「警察に行って、こうこうこうした事を尋ねて下さい」と言われた。

そして、ピタリと報道は止んだ。

なぜ?止んだのかは知っているが、具体的な事は書けないので、ご勘弁。

そうした経緯がある。



■[幸福の科学]にとっては、確かに職員と言えば職員だったのだが、警察に、ある事を確認しただけで治まる、傍迷惑な人だったのだ。

私は、その日(報道を受けた日)は現場に居たので、こうした詳しい話を知っている。

ほんとうに元信者であるならば、【和合僧破壊】にならない内に、猛省を望む。



■こうして書いているだけで、私は頭痛持ちでは無いのに、後頭部がズキズキ痛む。

何かが来ている。

おそらく、母親に憑依していたモノの類・仲間と思うが、【迷惑だ!邪魔するな!】

・・と、書いたトタンに頭痛が消えた。

嘘では無い。嘘は書かない。


余計な寄り道をしてしまったが、とにかく【貧・病・争】の極限を味合い、なんとか克服して来た事を伝えたかったし、書き残したかった。




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◆【自分記:第8回】長い長い闘病も、心の持ち方ひとつで短期間で完治


 
 【過去記事移動】 過去、このブログに書いている中で、今でも使えそうな話を移動します。 - 2013年12月7日のブログより。



【睡眠不足:睡眠を甘く見ていた事から始まる、さまざまな病】


20代前半で、仕事・仕事・仕事で明け暮れて、1日平均100件以上の【新規開拓:飛び込み販売】をしていた私は、【睡眠】を甘く見ていた。


殆ど熟睡出来ない自宅での皮膚病治療(ODT)は、それはそれは大変な作業だった。

まず、真似の出来る人は居ないと思う。出来ると思う人は1度でもお試しあれ(笑)


・風呂に入った後に、ワセリン状の軟膏を、頭から足の先まで塗る。

・(夏冬関係なく)、上半身をサランラップで巻き、その上に長袖下着を着て、弾力包帯でグルグル巻きにして、寝る。

・翌日は、同じように下半身と、交互に治療する。

この間の作業時間が1時間以上。



■寝ても、軟膏と汗でベタベタして眠られない。

当時は家庭にはクーラーも無く、夏は扇風機を掛けたまま。

夏はベタベタ部分が気持ち悪く、冬は冷たい。

この状態で眠る事が出来る人は、まず居ない。

熟睡出来ない。


・翌朝は、シャワーのような気の利いた物は無いので、夏は冷水のまま、冬はヤカンの湯を混ぜて、体中を石鹸で洗う。

この間の作業時間も1時間程度。病の治療をする作業だけでも1日2時間を要していた。

私はこれを5年以上続けて居たし、仕事も人並みの2~3倍はして居た。



■その時その時で最強のステロイド(副腎皮質ホルモン)軟膏を、錠剤にしたら1日2錠に充たるものを、20歳~45歳までの期間使用していた。

死する病では無かったが、【早く治さねば】と言う思いで、医者の言われるまま使用していた。


だけども、医者や薬剤師だったら、その量だけ見ても、【尋常な量では無い】と解るはず。

それだけの量の副腎皮質ホルモンは、【生死に関わる病】に処方される量だ。

いや、おそらくそれ以上だろう。

つまり、とっくに死んで居ても不思議では無い、大量の強い副腎皮質ホルモンを25年以上も使用して居たのだ。




【病の治療が次なる病を】

そうして、25歳の夏が過ぎ、「たまにはビールでも飲もうか」と、普段は飲みもしない缶ビールを飲もうとしたら、飲めない。

咽に詰まったまま降りない。

ビールが肺に入り呼吸出来なくなり、むせながら吐き出した。



■病院に行くと、「すぐに入院して下さい」と言われたが、断った。断らざるを得なかった。

仕事が事業転換の大成功で、私の代わりを出来る者が誰も居なかったからだ。

個人事業の辛いところだ。(個人企業の一番の弱点でもある)



■診断は、胃がバケツのように大きくなったまま伸縮しない(胃アトニー、胃拡張)、胃に傷跡(胃潰瘍の傷跡)、胃酸で満タン(慢性胃炎、胃酸過多)。

咽も、腸も【蠕動(ぜんどう)運動】をしない。


要するに、私の胃腸は、完全ストライキに入ってしまったのだ。(笑)



■胃潰瘍跡は、おそらく中学時代に殴られた時の傷跡だろうが、それも含めて治療に入った。

・・が、治らない。


水を飲んでも咽に詰まる状態。(今だったら胃液吸引する事で楽になる)

巻き寿司1切れ食べるのに30分。

食パンの耳を取り1切れ食べるのに1時間(笑)

そしてしばらく横にならないと、胃が重苦しくて動けない。



この時もらっていた薬のひとつが、【無理矢理に胃腸を動かす薬】だった。

やがてその薬は、1週間使用して死亡例が相次いだので禁止された。

だが私は、その薬を13年間も飲んで居たのだ(笑)



■長年使用していた副腎皮質ホルモンの副作用で、若年性高血圧、若年性糖尿病、等々、病気の名前が覚えられない程の病気持ちになった(笑)

思い出して書いてもいいが、読む人は気持ちが悪くなると思うので割愛する。(笑)

以前、相談場で体験談として書いたら、「・・・、お大事に」と言われてしまった経験があるから(汗)



■この頃は、総合病院で行かなかった所は、小児科と産婦人科くらいのものだった(汗)

今年の夏、友人達と食事に出た時も、『ワシは滅多に病院行く事ないのに、行く度に、お前が居たぞ』と言われてしまった(笑)


この頃は仕事は順調で、黙っていてもドンドン注文が殺到する状態だった。

だからこそ、病院に行く事が出来ていた。




【仕事の成功と失敗】

仕事面では、外回りがキツクなった私は、県内では私の処以外では作る事が出来ないモノだから、仕事を[卸し業]に変えた。


この事が、やがて、自分で自分の首を絞める事になる。


この頃、情け容赦無い自分になれたら良いのだが(ほんとうに良いかどうかは疑問?)、私は【人の縁】を大切にするがゆえに、飛躍のチャンスを失った。

[卸し先の取引先]が全部解かるのだから、そこに直接私が行くことが出来ない。

次第に、新規の直接取引先が停滞してしまう事態になった。


もちろん総合的には、県内だけでも[卸し先]が持って来る1万件以上の企業の仕事があるが、利幅が少ない。

だから私が、[卸し先]を無視して直接取引をしたら、価格では負けないので、もっと大幅に利益を産んだ事と思う。



実際に、ある企業から「直接取引」の話が来た。

私は、その企業と取引している卸し先に、「これこれ、こういう事情で・・と、やむを得ない事情なので、今回は仕事を頂く」と電話した。

卸し先の相手からは、『この仕事を取られたら、私の店が立ちゆかなくなる。どうか、勘弁して欲しい』と、頼み、泣き落とされる。


こうした事に非情になれるかどうかで、企業の体質が解かるのだが、私は非情になれなかった。

私的な情けに溺れてしまったのだ。


ただし、その時の恩を知ってか?熱心な自民党応援団だったが、今では[幸福実現党]の支持者に回ってくれている。


【追記:2017.04.03.】

昨秋の市議選で、お願いに行ったら、『あんたにゃ恩があるからなぁ』と、応援頂いた。



■県内には、今では大きくなった企業がヨチヨチ歩きの頃に、そうした非情になれない私が身を引くことで、生き残って、大きく成長した処もある。

すでに代が代わっているので、そうした時代の頃は知らない社長達が殆どだ。

私はそうした、[人の縁を取るか、仕事を優先させるか]の二者択一の場合、[人の縁]を大事にして来たので、本当の企業人では無いと思う(汗)

だが、その分、多くの人達との縁は残っている。




【】

27歳の頃から胃腸が動かなくなった私は、食事が摂れないのだから、ドンドン痩せて行く。

鍛えに鍛えた筋肉も、生きる為のエネルギーに使われて、72㎏あった体重が48㎏まで落ちてしまった。
(現在は82㎏(汗))

この頃の同級生の中には、「もう、あいつは(私のこと)長くないぞ」とウワサされて、殺されていたようだ(笑)



人目にもそんな状態だった。

そして、

・その時々で最強のステロイド(副腎皮質ホルモン)を、25年使用。

・1週間で死亡例が相次いだ薬を、13年使用。


これだけを見ても、生きている方が不思議なくらいだ。

よほど生きる力があるのか、【生かされている】のだと思う。



■他にも、

2月の夜半に突然40度を超す高熱が出て、歯の根が合わないほど口元がガチガチ震えながら、急いで救急病院に行ったら、

当直医に、『風邪ですね。薬を出して置きますから、帰られて良いですよ』と言われた。


納得が行かない私は、質問する。

「頭もフラつかない、鼻や喉も普通。熱だけの風邪ってあるのですか?」

『そういう風邪もありますから、ご心配なく』と言われるので・・

「さっき計ってもらった血圧を縛ったゴム跡が、このように黒くなっています。私は、敗血症の患者さんが、こんな状態になるのを見ているのですが・・」


『そこまで心配されるのなら、血液検査をしましょうか』となり、1時間後の結果を見て「ガーン!あなた!今すぐ入院して下さい」となった事がある。

その時から24時間の丸1週間、抗生剤の点滴を受け続けた。


担当医からは私には何も言わなかったが、妻には「敗血症です。熱が下がらなかったら、お覚悟を」と言われていたようだ。

だから言ったのに(笑)

あの時、当直医の言われるまま帰っていたら、私はこの世に居ないかも知れない。



9年前の8月に心筋梗塞を起こしたが、この時もそうだった。

痛みには慣れているので(笑)、3日3晩、鈍痛・激痛を我慢していたが、とうとう我慢出来なくなって、土曜日に掛かり付けの町医者に行った。


「今までの痛みと違う。波が無く24時間ブッ通しで痛い。その痛みも肋骨の範囲内、前も後も全部が痛くて、どこがほんとうに痛いのか分からない」

「もしかしたら、心筋梗塞では?」


その町医者は整形医だったので、土曜の午後からも診察してくれる、3月まで大病院で働いていた循環器医を紹介してくれた。

血液検査、レントゲン、心エコー、心電図とも【異常なし】で、循環器医は『心配ありませんから、帰られて結構ですよ』と言う。

だけども私は、「絶対におかしい」と粘った。

『そこまで言われるなら』と、救急病院への紹介状を書いてくれて、7000円の無駄遣い(笑)



救急病院へ行ったら、【奇跡に継ぐ、奇跡】で、専門医でも見付け難い場所が詰まっていた。

すぐに緊急手術となり、一命を取り留めたが、果たして医者が助けてくれたのだろうか?


循環器医に「帰られて結構ですよ」と言われて、素直に帰っていたら、おそらく私は、その日の晩か翌日には、大変な状態になっていただろう。



何が生死の分かれ目になったのかは、私の長~い病気(笑)の経験から来るものだ。

「好調時と不調時の自分を知っている」からでもあるかと思う

不調時の自分を超えた症状に対して、医者に念押ししていただけだ。



■このように、病だけでも、今まで何度も命を落としてもおかしくない状態でも、不思議に間一髪の処で生きている。

いや、すでに生きているというより、【生かされている状態】としか思えない。

それほど多くの生死の境に居ながら、【生】の側に戻って来ている。


これは、ただ単に【運が良い】だけでは無く、もちろん私の医者を納得させる努力もあるが、【生かされている】としか思えない。




【胃腸に感謝の心、皮膚病を忘れた心で、全快】

話を戻すが、全然動かなくなった胃腸に向けて、「なぜ!動かないんだ!」と、長い間、私は胃腸を責めて居た。

その原因(慢性睡眠不足)を作ったのは、自分自身であることも知らずに。


■さらには、毎朝パンを買って来て、牛乳を飲んでいた。

普通に思えるかも知れないが、パンの成分の小麦粉は胃液の分泌が激しくなるし、牛乳は皮膚病の原因とも思えるようなものだった。


つまり、私のような病気の渦中にある人間が、摂取してはならない食物を、好んで摂っていたのだ(汗)

だから治るはずが無い!

・・のを、当時も今も、医者にも誰にも分からない。


長年の自己体験として、摂取物によって胃液の分泌が違う事が分かったのだ。



■小麦粉類で作られた食べ物を摂らないように心掛けると、膨れ上がって動かなかった胃が縮み始めて、少しずつ動き始めた。

半年もすると、すっかり普通に食事が出来るようになっていた。



■その後、約半年ご無沙汰だった胃腸科に行くと、先生と看護婦のヒソヒソ声が聞こえる。

『このフィルム、○○さんで間違いないか』、『間違いないです』


私が呼ばれて、目の前の写真を見ると、胃が縮んで普通に戻っていた。

「これって、ボクの胃ですよね?」

『私も、間違えたのでは無いかと確認したが、君だよ。あれほど酷かったのが、すっかり治っているので、信じられ無いが・・』


そこに映っていた胃腸は、すでにバケツのような胃では無く、綺麗な形に小さくなっていた。

ヘソ下にまで下がっていた胃が、ヘソ上にあり、半年間で10㎝は縮んで戻った。

容積にしたら、「普通の人の4倍ある」と言われていたので、1/4に縮んだことになる。



何をどうした訳では無い。

医者が出す薬が信用出来なくなり、医者に行かずに、【胃に優しい方法】を考えていただけだ。

そのひとつが小麦粉だった訳だが、それだけでは無いと思う。



■[幸福の科学]で学べば学ぶほど、原因が分かる。

大切だったのは、ロクに睡眠を取らずに、無理して働かせていた内臓諸器官に【感謝の念いが無かった】からだ。


それが、医者に行かなくなった事で、【どうすれば胃に優しくなれるか】を考え始めた。

そうした念いと共に、食物制限をしていると、完全回復した。



医者に掛かって13年間、危険な薬を飲みながら、仕事も制限しなければならない程に痩せこけた。


それが、たった半年で完全回復。

この頃から私は、医者に対しては【絶対】と言うことは無いと思い始めた。


若い頃、赤十字病院で働いていた為に、心の中に[医者神話]のようなものを作りあげて居たのかも知れない。




【不治と言われた病も】

頑固な皮膚病も、これまた【治療を忘れる】ことで、自然回復をした。

まさか、あれだけの皮膚疾患が、【心の持ち方ひとつ】で治るとは、思ってもいなかった。


30年間の危険なステロイド治療は何だったのか!?

ま、何事にも無駄が無いと教えられているように、病気治療を通して忍耐が鍛えられたようには思う。


何も薬の世話にならなくなったら、前述の若年性なんちゃら類も、全部治った。


それも[幸福の科学]に入信する前だ。



[幸福の科学]に入信後は、私の様々な経験の○×を付けるような感じでもあった。

だから私は、病気を治したくて[幸福の科学]に入信したのでは無い。

入信前には、誰から教わった訳でも無いが、経験として【心】が作用している事には気が付いていた。

それを明確に、具体的に教えられているので驚いた。



一時期の私は、霊障だったと思うし、それぞれの病気が長い。

長過ぎる(汗)


胃がまともに動かない13年。

皮膚病で軟膏塗り続けの30年。

ついでにノイローゼの7年を見ても、普通では無い(笑)


ただひとつ不思議なのが、私はどんな状況でも【塞ぎ込む】ような事は無かった。

いつも自然な笑顔は絶えなかった。


「笑顔は、免疫値を上げる」と、薬剤師の叔父が言っていた。




■病気の話を書くと、まだまだあるが、書いていて気持ち良くないので(笑)、この辺にする。

ただ、【貧・病・争】の【病】の中にあっても、
常に未来を見据えていた男が、ただならぬ病の数々をも克服して来た人間だって、居るのだと。


病の渦中にありながらも、悲壮感だけは発していなかったと。


病と闘っている間は、何十年も治らなかったのに、【病の自分を忘れたら、1ヶ月で治った】と。


【忍(堪え忍ぶ)】の一字で、何十年も必死で努力したけど、間違った努力だったと。


【反省や感謝の心】が芽ばえた時、さまざまな病気が勝手に消えて無くなったと。




【反省と感謝】

現在、病に苦しまれている方は、世の中には、そうした過酷な経験をして、克服して来た人間だって居る事だけは、知って置いて下さいね。

病の多くは、自分の心が創り出し、霊的な影響を受けている場合もあります。


私は、そのどちらも経験して来た者で、結局は【心の持ち方】なのだと、身を持って知った者でもあります。

本来は、【反省や感謝の心】で満たされれば、病の身さえも正常に治せます。



■私自身もありますが、医者から見放された難病の知人・友人達が、自然治癒しているのを、この目で見て来ました。

例えば、酷い喘息の友人が私と会話しただけで完治。

知人の喘息を5人の信者さん達と祈ったら、即、治ったことは、このブログにも書いています。


まさに奇跡と言うしかないのですが、私の中では、その奇跡が当り前のような感じさえ受ける時があります。



■今は妻がガンと戦っていますが、そうした話を書けば【善念、愛念】が飛んで来れば、【悪しき想念】が飛んで来る時もありますので、慎重になります。


ただ、手術前には末期癌と医者は思っていたようですが、開いて見れば、奇跡的な初期のものでした。

私の場合こうした【奇跡的】な事柄が多くて、

【当り前】のようになりつつある事に感謝を抱きながら、もっと謙虚な心にならなければと思っています。




【追記:2017.04.03.】

ここに書いていた妻のガンは、奇跡的に完全に治りました。

妻自身が作った病でも、妻の覚悟と、家族の求めが、またまた奇跡をくださいました。




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◆【自分記:第7回】未知なる恐怖心との戦いの中、もしかして?


 
 【過去記事移動】 過去、このブログに書いている中で、今でも使えそうな話を移動します。 - 2013年12月4日のブログより。



石破氏のブログ発言には困ったものだ。

なぜ?わざわざブログに書く必要があったのか?

責任政党の幹事長を任されている事を忘れてもらっては困る。

強固な岩盤でも、蟻の一穴から崩れることもある。

前回の安倍政権がそうだった。

石破氏は、国民を引っ張る器で無い事が証明されたようなものだ。

氏が総理で無くて良かったと、ほんとうに思う。


それにも増して、国会前でデモ?をしている方々。

あなた方が、日本国家のことを思っての行動なら、ぜ?日本国旗の1つも立てないのか?

全員で、日本国旗を振りながら、正統デモをされたらいかがかな。

見ていて、不思議でならない光景だ。




【意外な発見?】

昨晩、【御法話ビデオ】を観ながら、フッと思い付いたことがあった。


昨日書いた私自身の話を、心の中で復唱していたのだが、もしも、この時期、ノイローゼ状態になっていなかったら】へと、思いが向いた。


私は何故か?小5の頃から、後に暴力団組織に入った者達ばかりから、嫌がらせを受けていた。



小学生時代の学校はサラリーマン家庭が多く、普通の者達ばかりで、番長のTとは仲が良く、いろんな面で気が合っていた。

もちろんTだけでは無い、殆どの級友達とは仲が良かった。




ただ一人だけ、Sという男が、私に様々な嫌がらせをして居た。(中卒後、私の小学校から唯一、暴力団組織に入った男だ)

毎日毎日、あまりにも執拗だったので、私はSには完敗だと思っていた。


今年になって、近所の恩師と話していた時、「Sには勝てなかったなぁ」と言うと、『でもお前は、負けもしなかっただろう?』と、先生が言う。

「ええっ?」

「そう言えば・・勝てなかった事ばかり記憶に残っているけど、負けてもいなかった・・」


先生は『そうだろうが。お前だったらそのはずだ。お前だったら、あのSに勝てなくても負けなかったはずだ』と言われて驚いた。

言われてみれば、確かにそうだった。

勝っても居ないが、負けても居なかった。



だけども、その先生は中1の担任で、小学時代の私は知らないはずだ。

中1の時、私の担任だった時の事を、私より知っていて驚く事がある。


「あの男はこういう奴で、あいつはこうした奴で・・」と、鋭い分析眼を持っている先生だと、今頃になって気が付いた。

さすがは講道館で山下8段を鍛えた人だと、思い知らされる事も多い。



■その先生が、『だけどもなぁ、お前がワシが担任の時にノイローゼだと?』

『ワシは、全然気付かなかったぞ。お前、何か勘違いしてるんじゃないか』とまで言われる。

いろんな恐怖心の話をしても、『わからんな。お前からは、そんな雰囲気はまったく感じなかったぞ』の繰り返し(笑)



■確かに私は、自分の苦しみを他人に言うタイプではないので、口に出さなかったから、誰も気付かなかったのかも知れない。

だけども大人だったら、雰囲気で分かるはずだ。


それが元講道館講師の先生にも分からないのなら、私は、とてつもない「能面男(笑)」を演じていたことになる。

毎日、あれだけの恐怖の中に居ながら、その気配を、他人に嗅ぎ取らせないものを持っていたことになるのだが・・。




【暴力校】

それはともかく、私が行った中学校は、私の小学時代と正反対で、
当時の県下一の【暴力校】だった

小学3校が集まる学校だが、他校の者達には【荒くれ者】が多かった。

職業差別的な言葉は慎まなければならないが、漁師の子供達が多かったので、私は異次元世界に来たような異様さを憶えたものだ。



■ただ私は、【未知なる恐怖】は憶えても、人間に対しての恐怖心は無い。

もしかしたらだが・・、

そんな私の性質を見越しての、守護霊や天上界からの【ノイローゼにさせて、おとなしくさせて置く】と言う、お計らいだったのかも知れない(汗)

昨晩、急に、そんな思いが湧き出した。

今まで考えもしなかった事だ。




■もし、仮に・・、私が正常なままだったとすると私の中学時代はどんな風に変わって居たかと想像していた。

おそらく、中学校でも番長を張っていたTと親友でもあったので、とんでもない中学時代になっていたかも知れない。


「Tが、誰々と喧嘩して勝った」だの、「T達が、他校の奴等と喧嘩して勝った」だのと、耳に入っていた。

だが私は、(Tなら、さもありなん)とばかり、気にも掛けていなかった。

小学時代の親友Tは、私と同クラスになった事もなく、中学~高校に掛けては、まったく付き合いが無くなっていた。


※ちなみに、成人して、再会した時のTは、別人になっていた。優しい男に変身していた。

そこから私達の友情は、本当の意味で始まった。



もし、中学校時代の私が正常だったら、Tとは行動を共にしなくても、向って来る者には、容赦ない反撃をしていたのでは・・と思ったりする。

喧嘩は大嫌いだが、自分から仕掛ける事は絶対に無いが、向かって来る者には、黙って我慢はしていなかったと思う。



■それでなくても、中1の時にはテニス部のキャプテンに、知らない所でラケット網をナイフでズタズタに切り裂かれていたのだ。(この男も(暴)に入った)

とにかく、中学時代の私に嫌がらせをして来た者達の殆どが、(暴)に入っていた。(笑)



■もし私が、そうした者達と対峙すれば(していたと思う)、中学生活のみならず、後々まで関わらざるを得なくなっていただろう。

当時の私の中学校から(暴)へ行っていたのは、顔見知りだけでも10人は居たし、おそらく30~50人は居たと思う。


取引先が組長の実家とは知らずに、納品しながら雑談していたら、顔見知りの者達がゾロゾロ来て、「おまえ等、なんだ?」と険悪な雰囲気になった事もある。

あんな優しい人達の息子が、組長?・・信じられなかったが、ほんとうだった。

その組織に、私の同級生達がゾロゾロ居たのだ。(笑)



■そう考えれば、私の下手な正義感を使えないイローゼ状態にして置く事で、彼等との悪縁を断つ事が出来る。

(実際に、彼等(暴達)と市内で顔を合わせても、縁を持つ事は無かった)


もしかしたら、ほんとうに、天のお計らいだったのかも知れない。

そんな気がして来たので、忘れない内に(汗)、書き記す。




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Trackback [0] | Comment [0] | Category [自分記] | 2013.12.04(Wed) PageTop

◆【自分記:第6回】名家産まれの期待される少年の、心の葛藤


 
 【過去記事移動】 過去、このブログに書いている中で、今でも使えそうな話を移動します。 - 2013年12月03日のブログより。



前回までは、仏教の教えの中にある、3大苦(貧・病・争)の中の、貧の部分の前半部(笑)を書き記した。

ただ記録的に書いたのでは無く、マイナス環境の中から出発して、いろんな人達との相克・出逢いを通して、課題克服して来た事を言いたかった。


だからこそ【人ありてこそ我あり】と、自分の人生を語る時には、他人との関係を書いている。


当然、悪役の人達も出て来るが、私自身は本物の悪人とは思ってもいない。

「罪を憎んで人を憎まず」ではないが、それほど高尚な精神の持ち主ではないが、行動としての悪(業)とおぼしきものを、人物と共に表わしている。



■私自身は、嫌な言葉を浴びせられたとしても3日持てば長い方だ。

大抵は3日以内に忘れてしまう。


そんな私のはずが、3大苦(貧・病・争)の【病】の中に居た事がある。


【争】と重なる部分もあるが、主に【病】に付いて書いてみたい。


【人生、山あり谷あり】を言いたい為に、10歳頃までの私は自慢話のようになるが、お許しあれ。




【プロローグ】

私の家系は、大内義隆の直系子孫だ。

室町末期の戦乱期、大内義隆は京都公家達を大量に匿って、その京都公家を奥方にしていた。

大内義隆は戦乱の世を嫌い、本気で京都から長州遷都を考えていた文人武将だった。

その名残は、現山口文化(五重の塔、雪舟の庭、ザビエル教会、等々)として残されている。



■歴史上では、大内氏は全滅とされているが、大内氏が戦乱の世から匿っていた京都公家達は、川上村に逃げ延びて約200年間住んでいた。


だから正確には、大内氏は全滅などしていない。

むしろ、逃げ延びた京都公家達は、力を貯めて、後世に、吉田松蔭、乃木希典のような歴史上の人物を産み出している。

また、この公家達は、天皇家と同じく血筋を大切にするゆえに、400年間も同族婚の家系だった。



■大内氏は、日本で最初にキリスト教の布教を認め、教会まで建てた寛大な人物だ。

だから、その子孫である私が[幸福の科学]で学んでも、キリスト教には違和感は無い。


だが、キリスト教徒からは、排斥される
(笑)

恩知らずな人達だ(笑)



■冗談めいて書いているが、私としては、この部分を、しっかりと知って頂きたい。

あなた達(キリスト教徒)は、400年前の日本で、キリスト布教の足掛かりの手伝いをした恩人の子孫を排斥しているのだと。


私の先祖の大内氏は、あなた達のような考えの人では無かった。

寛大な心を持つ人であり、仏教文化の京都から遷都を模索しながらも、異教徒のあなた達をも受け入れて来たのだ。


それが、どれだけ大きな意味を持つのか、あなた達には気付いて頂きたい。



■大内氏に力があったからこそ為せた業であるが、【善いものは善い】と素直に認める事が出来た人なのだ。

大内氏の恩恵を受けたあなた達も、【善いものは善い】と素直になって頂きたい。

・・と、願っている。




【血筋と伝統】

戦後、そうした家柄に、初めて他家の嫁達が来た。

私の母も、その一人だった。


おそらく・・だが、各家々で、それぞれ相当な確執があったと推測する。

私の家もそうだった。


威厳ある祖母と、強度のヒステリー母親は、双方が【相容れぬ】ものがあった。

父親は人望家で、父の周りには、いつも人が寄っていた。


そんな家庭に、私達3人きょうだい(私、弟、妹)が産まれた。



■私が特殊な事情(神様の予告通り)に産まれた事で、親族会議が開かれ、私の名前に大内の長たる証の【義】の一文字が与えられた。


それ以来の私は、もの心付いた頃には、毎日のように風呂に入りに来ていた一族の長老達から特殊な教育を受けていた。


私は、記憶力だけは良かったので、3人の長老達から、いろんな事を教え込まれた。


「一族の歴史」も、自分達の子供達さえ教えていないのに、私だけに教え込まれた。



■どうして私だけなのか解らないが、たぶん、教えた事を記憶する正確さだと思っている。

102歳で亡くなった神戸の叔母も同じだった。

ふたりで摺り合わせた内容は、寸分違わないものだった。

たぶん、片っ端から伝えていたら、「伝言ゲーム」のようになって、どれが本当の事か解らなくなっていたかも知れない。

そうした意味では、私は「一族の長たる役目と、語り部の役目」を課せられたのかも知れない。

・・と、思っている。



■20年くらい前のTVで、「正統な大内の子孫は?」とやっていたようだが(私自身は見ていない)、残念ながら彼等では無い。

「家系図がある」だの、「鎧兜がある」だのと言っていたようだが、それは違う。

私の家にも、【正統な大内宝刀】があったのだ。


大内の子孫は意外と多いが、「正統な大内の子孫」を名乗るのなら【大内家の心構え】が教え込まれて居なければならないはずだ。

大内の基本は【モノよりは、心】なのだ。



■だが、当時の私には、そんな事はどうでもよい事だった。

「そんな事で、本家本元になりたいのなら、ご勝手にどうぞ」の心境だった。


御先祖が立派な人でも、今生きている人達の自堕落さ、我儘さ、高慢さに辟易していた私は、20歳の頃から「口を閉ざして貝になる」と決めていた。


私が黙したままで、大内の隠された歴史を、本気で終わらせようと決意していた。

そうして、40年間以上、黙していた。



■私の考えが変わったのは、[幸福の科学]で【どんな人にも、その家、その家族に産まれた意味があります】と、教えられたからだ。

「・・そうか、あの人にも、この人にも、それぞれに産まれた意味があるのか」と思った私は、ポツリポツリと信頼出来る人達へ語り始めた。


だが、【大内家の心構え】は、未だに誰にも教えていない。

もちろん家族にも黙している。


(理解出来る後継者が現れたら・・)と思いつつ、20年が経った(笑)

ヒントは、これまで語った中にある。




【幼少期】

そうした私の幼少期は、自分で言うのも変だが、他の者の追随を許さないほどのものだった。

幼稚園期は、5人の超少数派の校区違いの地区から来ていた私が、百人を超える他地区の者を制して、すべてに置いてリーダー役をしていた。

入園挨拶、送辞・答辞、学芸会の主役、中学校での先頭大太鼓、等々。


おそらく、百人を超える他地区(校区違い)のお母さん方から「反発」のようなものがあったのかも知れない。

私の母親は、一切の行事に、運動会にも遠足にも、出て来なかった。


校区が一緒になる中学校入学時に、数人の人から『あなたが○○君なの?』と言われて、「なんだ?このおばさん?」と、不思議に思ったものだ(笑)




【小学前中期:知力・体力が中学生並の内気な野生児】

幼稚園から小学生になった時、他地区の幼稚園に通っていた私は、なかなかクラスに打ち解ける事が出来なかったようだ。

もともと、おとなしい性格(嘘ではありませんよ(笑))に加えて、知った者が居なかったので、そうだったかも知れない。


■だけども、不思議に、女の子の友達は多かった。

家に遊びに来る子も、女の子ばかりなので、父親から「○○の友達は女の子ばかりじゃないか」と言って居たのを憶えている。


別に私がモテたとか、そういうものではなく、その女の子達と一緒に、隣の地区に絵画の勉強に行かされていたからだと思う。

彼女達にとっては、唯一男の私が頼もしい存在だったようだ。

半世紀以上経っても(笑)、「○○君に、皆んながしがみ付いていた。大木のように頼り甲斐があった」と言われるが、私には嘘のように聞こえる(笑)



■だが、考えてみると、おとなしくて無口ではあったが、この頃から【責任感】だけは人一倍強かったと思う。

だから、隣の地区に女の子をゾロゾロ(笑)連れて行っても、誰も嫌がらせをする者は居なかった。

背が高かったので、2~3年は得をしたと思う(笑)



小4の時は厳しい先生で、毎日、朝学習(30分早く出掛けて、黒板に書かれてある小テストを解く)をさせられていた。

そして、列ごとに「列長」を決め(私はいつも列長)、1週間ごとに、列の成績順に並び替えをさせられていた。


夏は北側の涼しい順に。冬は南側の暖かい順に。

クルクル変わるので、私の列がどの位置に居たのか憶えて居ないが、とにかく激しい競争(原理)に晒されていた(笑)


・・当時は嫌で嫌でたまらなかったが、今思うと、とても熱心な先生だったと思う。

吉田松蔭先生のように
(笑)。(松蔭先生、ごめんなさい)


4年生なのに夏休みも無いのだ。


「列長」は、その列の最下位生徒と、毎日一緒に勉強を強いられ、どちらかの家で一緒に、「夏休み帳」+「自由勉強」をしていた。


遊ぶ暇など、ありはしない!(笑)・・は違うが、それほど勉強、勉強の先生だった。



■この4年生の時、「知能テスト(IQテスト)と学力テスト」とがあった。

全校だったのか、4年生だけだったのかは知らないが、先生が母親に「○○君は、学校で1番の150でしたよ」と、嬉しそうに言ったらしい。

母親も、「知能テストも学力テストも1番だったと言われた」と、嬉しそうに話していた。


そしてそれが、私の悲劇の始まりになる
(笑)

先生からも、母親からも、叱咤激励・・違う。

叱咤、叱咤が始まった
(笑)



■体力測定も、走る、跳ぶ、投げる等々、すべて中2~中3並だったので、先生からは「将来はオリンピック選手に」の言葉が並び立てられていた(笑)

3年生の時から、垂直跳びは黒板から上に手が行き危ないので、私だけが廊下で跳んでいた。

他クラスの者達まで窓から乗り出して、ズラリと見られるのが、とても恥ずかしかった。


そうした事で、本気でそうとう期待されていたのだろう。通知票にも「将来はオリンピック選手に」と書かれてい(汗)

そして、見事に期待を裏切った(笑)


なんたって、当のご本人は遊ぶ事が忙しくて、まったくその気が無いのだから(汗)


だから、先生からの嫌がらせ?が始まった。・・が、私は気が付かない。

「今日は、こんなことがあったよ」と、母親に報告していたので、勝手に母親が怒っていた。



まずは、「○○君は、利己主義者です」と言われた事だ。

4年生の無邪気な私には、その意味が解らない。知ろうともしない(汗)


先生が「この問題、解る人!」と挙手を求めても・・、誰も手を挙げない。


私には答えは解っていても、内気な性格なので(本当ですよ)、手を挙げなかった。


だが、「○○君、答えなさい」と当てられると正解を言うので、「正解を知っていても他人に教えない利己主義者」と言われたのだ。

中学生並に体格も良いので、先生には、そのように見えていたのだろう。


母親は、「息子の性格知って置きながら、なんて言うことを!10歳の子供に対して利己主義者とは何事か!」と、激しく叫んでいた。

だけども、先生にまで言って行く勇気は無い。

だから、言われっ放しだったが(笑)、私は気にもしていなかった。


その態度が、ますます横柄に見えたのかも知れない。

先生の嫌がらせは、エスカレートし、4年生最後まで続いた。



今は、こうして、嫌がらせと書いているが、ほんとうに私は何とも思ってもいなかったのだ。

少しでも反骨心があれば、もう少し伸びたのかも知れないが(笑)


何とも思ってもいなかった証拠に、卒業後も50代まで、その先生と道で出逢う度に「先生!」と声を掛けていたし、年賀状のやりとりをしていた。

書きながら気付いたが、今は見掛けなくなった・・。

お元気なのだろうか。



■こうして、さんざん先生達の期待を裏切っていたと思う私だが、ご当人は平気の平座で何とも思っていなかった(汗)

ガキだ(笑)


今あらためて、こうして書いていると、先生の気持ちが分かる。

出来るはずなのに、しない私が、そうとうに、じれったく思われた事だろう(汗)



■そう言えば、5年前の坂本龍馬や吉田松蔭先生のメッセージ公案でも、同じような言葉が降りて来ていた

松蔭先生から叱られてた(汗)

今は、松蔭先生から叱られないので、とうとう見限られたかな(汗)




【小学後期~高校2年:さまざまな恐怖心から来るノイローゼの渦中】

そして、思春期が早く来たのか?私は5年生の半ば頃から、些細な事で悩むようになった。


この世のあらゆる事象が信用出来なくなり、恐怖心の虜になってしまった。

何がそうさせたのかを書けば、馬鹿馬鹿しいと思われるだろうが、当時の私には深刻な問題だった。


たまらなくなって大人や先生達に質問しても、答えは帰って来ないのだ。


「そんな事、考えるなよ」と、笑われる事が、殆どだった。


そのまま中学生になっても続くが、誰一人として、私がそんな苦しみを持っているとは気付かない。

むしろ、中学生になって、学べば学ぶほど疑問が出て来て、誰も答えてくれない事に、不安はますます増大した。



■例えば(汗)

みんな平気で居るけど、地球の引力が無くなったら、どうするのか?

地球の自転速度が、一瞬でも速くなったり遅くなったりしたら、地上のものは宇宙に放り出されてしまう。みんな怖くないのか?

大気圏(約1000Km)のうち、富士山の3Kmで呼吸困難になり、エレベスト山では酸素ボンベが必要なほど、空気の層は薄い。
その薄い空気の中で世界中の人間が生きているが、本当に充分なのか?

摩擦は、なぜ、あるのか?摩擦係数ゼロになったら、この世はどうなるのか?


等々、あれこれ考えれば考えるほど、答えももらえず、ひとりで闇の中に沈んで行き始めた。


大人になった今は、この答えが出なくても納得出来るが、子供の私には、どうしても答えが欲しかったのだ。

【求めても求めても(答えを)得られない苦しみ(求不得苦)】を、勝手に作っていたのだ。

ガキのくせに(笑)



この頃の私は、自然と笑っていたし、飛び跳ねていたので、誰一人として、私がそんな苦しみを持っているとは気付かない。


だけども、【運動場に立つ】事すら、パニック(症候群)になりそうな程の恐怖の最中に居た。

実際には、パニック(症候群)には成った事は無いが、寸前までは度々行っていた。


私の場合、パニック症候群と逆で、パニック状態になると【呼吸が止まる】のだ。

「息が出来ない苦しさ」を味じ合う事は、度々だった。



毎日が、そんな中に居たのだが、親に言っても一笑に伏され、先生も気付いてくれない。


とうとう中2の時、学級委員長の身でありながら、風の強い日に「俺、今日の朝礼はサボる」と言ったことがある。

悪気はまったく無いのだ。

風に吹かれる事で呼吸停止になるので、風が怖くて避けただけだった。



■そしたら、知らないうちにクラスの仲間が真似をして、半数の男子生徒がサボタージュだ(汗)

2階から朝礼を見て「ぞっ」とした。私のクラスだけ列が極端に短い(汗)


担任が青筋立てて駆け上がって来た。

学級委員長の私は、木っ端微塵に叱られるのを覚悟したが・・。

担任は、私が「言い出しっぺ」と知るや、何も言わずに職員室に戻った?


今考えると、担任は、学年担任でもあったので、【学級委員長が言い出しっぺ】と言いたく、したくなかったのだろう。

隠蔽教師のハシリだったかも(笑)



そんな状態の日々で、怖くて怖くて、授業などロクに身が入らない。


心の中はそんな大嵐でも、中学時代の私は、なんとか授業を聞いているだけで勉強は上位にいた。

必須5教科は、ほぼ満点だったが、特殊教科が最悪で(汗)、9科目合計の中間・期末試験では、15位~40位をウロチョロしていた。

(その位置に居れば、母親に叱られないので、上位を目差すなどの気持ちは無かった)



■学校の勉強に集中出来なかった私にとっては、中間・期末試験でさえ応用問題のようであり、いつも実力テストと変わらなかった。

だから、必須5教科だけの応用問題ばかりの実力テストでは、トップクラスに躍り出ていた。


だけども、私が上がったのでは無く、他の者が下がっていたのだ(汗)

特に中間・期末試験では上位を占有していた女子達は、応用問題ばかりの実力テストでは、殆どが上位に居なくなっていた。


※ちなみに、この必須5教科のほぼ満点は、私の娘も同じで、持って帰るテストは100点ばかりで、通知票はオール5だった。

とても娘には適わないと思ったものだ。


だけども、娘が持って帰るテスト内容は、私達の時代とは比べものにならないほど、劣化していた。

息子・娘のテストを見て、私は「ゆとり教育」の弊害が産み出した【学力低下】を、目の当たりにしたものだ。




【ノイローゼから、次なる段階へ】

中学時代の私は、友達は多かった。

だが、それでも【不安と恐怖の孤独感】の中に沈んでいたは、持てる力の半分も、ひょっとしたら1/3も出せていなかったかも知れない。


授業時間中も恐怖の虜だった。

背が高いので、幸いなことに常に最後列に居たので、すぐ傍に壁や柱がある事が、少しばかりの安心感をもたらせてくれていた。



■頭の中は【不安と恐怖】に支配されながらも、勉強も運動も上位に居たし、普通に笑顔も出ているので、誰も気付かない。解ってもらえない。


母親に訴えようものなら、「あんたはキ○ガイか!」と怒鳴られて居たので、我慢するしかなかった。


普通の母親だったら、おそらくこうした言動はしないだろうし、「どうしたの?」のように心配すると思うが、私の母親は特殊な人間だった。


この母親との葛藤が、やがて本格化して来る。

そして私の病気の数は、どんどん増えて行く。


※ちなみに私は、20歳までは、大きな病気はもちろん、風邪すらも滅多に引かないタイプだった。(今も風邪は滅多に引かない)

全校でインフルエンザ(香港A型)が蔓延した時、中3生徒は自主登校が続いたが、1度も欠席しなかったのは私一人だけだった。

(おそらく出席しない奴等にも、ワザと怠けて休んだ者が居たと思っている(笑))


私の中には、【風邪くらい何の事は無い。寝てれば治る】の思いがあったのだ。


それほど私は小学から高校まで病欠は1度もなく、20歳までは病院に行ったことも無かったのだが・・。





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