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◆【9歳の子供のたわごとが現実化した話】戦争を避けたかったら、危機を乗り越えたいのなら、幸福実現党の話に耳を傾けて頂きたい。


昨日思い出したことも、もう忘れています(汗)

インスピレーションなのか、歳による物忘れなのか(笑)

すっかり忘れていたことを思い出したので、個人の想い出として記します。

後半部を語りたい為でもありますが。。




ロケットが(笑)左右に飛ぶ木製織機が、裏庭にあった】

■60年前(笑)、私の裏庭には、一風変わった物があった。

ひとつは[木製織機]であり、子供の私はオモチャにしていた(笑)

Toyota_Jinriki_Shokki.jpg

ふたつのペダルのようなものがあり、シュッ】と左右にロケットのようなものが走る。


■言葉で上手く説明出来ないので、[木製織機]で検索してみた。

◆豊田式木製人力織機動画
https://youtu.be/XZMNGmrMecE



色は木の色そのものだったが、良く似ている。

今思い出して懐かしいが、私が憶えているのは子供のオモチャだったことだ(笑)

遊び道具にしていたロケットは沢山あったし(笑)


■長年、裏庭に放ったらかしだったが、昭和33年に家を増築した時に、父親が風呂の薪にしてしまった(笑)

今では、[静岡県湖西市・豊田佐吉記念館]に置いてあるほどの珍しい物のようだ。

惜しいことだ(笑)


祖父母達は、これで[和手拭(わてぬぐい)]を作っていたのだと思う。

現場を見たことは無いが、名残りはあった。

同じく裏庭に、得体の知れない(笑)、[黒色の液体が入っている瓶(かめ)]がいくつも有った。

他にも、茶色のガラス瓶に入ったものが多くあったが、どちらも子供の私には気味悪くて触りもしなかった(笑)

瓶(かめ)の中の液体は[染料]で、ガラス瓶は染料を作る材料だと思う。




【繊維業を選んだ祖母と父】

■正直言って、NHKが[花燃ゆ]を始めるまで、楫取素彦(小田村伊之助)のことは全く知らなかった(汗)

三田尻(現防府市)の親戚近くに楫取屋敷があり、その屋敷跡で遊んでいたのに(汗)

それだけではない。

私の祖父母は[玉木]であり、系図的には楫取素彦の親戚にあたる。

楫取素彦は最初の群馬県令(知事)となったようだが、彼の功績のひとつに[富岡製糸場存続]があったようだ。

◆富岡製糸場存続に尽力した群馬県令・楫取素彦(小田村伊之助)とは?(歴史のトリビア、ひすとりびあさんより:無断リンク御免)
http://historivia.com/cat2/katori-motohiko/421/

私自身は、彼(楫取素彦)が残した功績は知らないが、こうして詳しく調べて居られる人に感謝。 m(._.)m


[Wikipedia]では、楫取素彦は大正元年(1912年)に死去とあるが、私の祖父母達は明治半ば生まれだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AB%E5%8F%96%E7%B4%A0%E5%BD%A6

祖父母の親戚には、医療関係者も多いが、繊維業者も多かった。

何か、彼と関係があったのだろうか?


私の祖父は国家公務員として、政府のブラジル移民政策を担ったようだが、詳しい話は聞かされていない。

『47歳の若さで亡くなった』という事実しか知らない。・・当時のブラジル硬貨は残っている。(誰か高く買って:笑)

残された祖母が、親戚の繊維業を引き継いだとは聞かされている。

その名残の[木製織機]のようだ。




【子供とて、家事・家業の一員だった時代もあった】

戦争から帰った父親は、祖母の繊維業を継いで、母を迎えた。

そして、私の子供の頃は家の手伝いは当然のことだった。

どこの家の子でも同じだった。

薪割り、水汲み、風呂焚き、野菜への水やり・・等々は、子供の役割だった。


それ等に加えて、自営業の子供の私達には【家業の手伝い】があった。

家が牛乳屋だった者は、高校生になっても牛乳配達を終えて学校へ行って居た者もいる。

私達の場合は、父母が加工した(名入れした)日本手拭を仕上げることだ。

折りたたんで、熨斗紙で包装していた。

簡単に見えるかも知れないが、[熨斗紙巻き]が簡単ではない。

熨斗紙の端に日本糊を付けて乾かす。たったこれだけの作業でも、1枚ずつ家中に広げるので、歩き場も無くなる(笑)

乾くまで外で遊んで、頃合いを見計らって帰り、10枚束にして集めていた。

だから、勉強する暇など無い!・・遊ぶ暇はあったが(笑)


当時の子供にしたら、こうした家事手伝いは、当然の事だった。

今は、どうだろう?

訊くまでも無いか(笑)




【お父ちゃん、お母ちゃん・・いつ寝るのだろう?】

■私は、寝る前には父母に「おやすみ」、起きたら「おはよう」を必ず言っていた

それが、毎日の習慣になっていた。

良い子だ(笑)


子供心に、「お父ちゃん、お母ちゃん・・いつ寝るのだろう?」と、不思議に思った。

「おやすみ」と言う時には、ふたりとも仕事をしている。

「おはよう」と言う時には、母親は台所、父親は仕事。

ほんとうに不思議でしかたなかった(笑)


私は、良くも悪くも、そうした両親の後姿を見て育った人間だ。

だから、良し悪しはともかく、【ゆう活】などと・・聞いて呆れる。




【父親との旅行の想い出】

ここから本題だ(汗)

■すっかり忘れていたが、小5になる前の春休みに父親と[長野~名古屋~大阪~京都~奈良~今治]の大旅行をした事を想い出した。

記憶の底に残っていて、想い出したことが数点ある。

その中の一点だけ、私自身の記録に残して置きたいので、こうしてゴチャゴチャ書いている(笑)


【長野】

■とにかく長旅だった(笑)・・当時の汽車ポッポは時間が掛かった。

父親の作った商品の中に、[特許登録使用許可の商標]を貼っていない商品が有ったようで、長野の業者に呼び出されたようだ。

お土産と今の額にして100万円を持って行ったらしい。


■だが、私の記憶には、そういうギスギスしたものは無く、『ボク、遠い所をよく来たね』と、歓待を受けたことしか憶えていない。

父親達が話している間は、『これ読む?』と差し出された漫画を読んでいた。

滅多に口にしないケーキも頂いたし(笑)


■今になって思うに、「親父め、俺をクッション材にしたなぁ・・。それで俺を連れて行ったのか」と(笑)

確かにそうだろう。

こうした場に子供が居るのと居ないでは、随分と違うだろう。

実際、話もこじれずに、和いだ雰囲気で終わったようだ。

心配する母親に、『問題なかったぞ』と報告していた。

「親父ぃ~!」(笑)


【名古屋】

紡績工場を見て歩いた記憶だけだが、繊維糸の仕入先だったようだ。

私が父親の仕事を引き継ぎ、6年で転業したので、そんなに強い記憶は無い。

・・今でもその会社の名前の入った大きな寒暖計は残っている。


【大阪】

■ここも、あまり記憶に残っていないが、船場の卸業者の所へ行った。

そこでの父親達が語っていた話を思い出した。

「息子は、何かワカラン、答えに困る、難しい事を聞いて来る」 ←この言葉は、いろんな人達からも(汗)

確かにそうだ。疑問に思ったことは、いつも尋ねていた。

そして殆んどの場合、答えはもらえなかった。父親や先生・・どの大人達からも。


■大阪の繊維問屋に
「息子が、タオルを、お中元・お歳暮に使ったら良いのにと、言うんだが」と相談を持ちかけていた。

当時、父親は【母親と毎日のように夜なべ仕事】をしていたので、母親が大文句(笑)を言っていた。

母親の苦情に耐え切れずか?(笑)、父親は新型の半自動印刷機を導入した。


それまでのデッカクて重い木版式手動印刷機では、あまりにも手間とコストが掛かり過ぎていた。


■そうした事で父親は、県下で最初の平型平版印刷機を導入した。

以前の機械・方式とは比較にならない程、速くて便利だ。

冒頭のように家族総掛かりだったものが、一人でもやれる。


■だが、今度は(供給に見合う)仕事が無い(笑)

小3の頃だったか当時(1957年頃)は【名入タオル=記念品】だったので、父親に【タオルを進物に使えば良いのに】と言った。

笑われた。

父親が、その話を大阪の問屋でしていたが、これまた【大笑い】だった。

大阪の問屋は、『そんなもの、(高過ぎて)売れるものか』と、笑い飛ばしていた。

確かにそうかも知れない。

おそらく今の額にすれば、1枚1500円~2000円になっただろう(笑)

だから当時の人達には、【子供の他愛ない発想】に過ぎなかったのだろう。

・・そしてその事は、今の今まで、私もすっかり忘れていた。


■さてさて、9歳のガキの戯言は、その後どうなっただろうか(笑)

あの時笑いまくった人達に、皮肉と嫌味を込めて(笑)・・は、もちろん冗談。

どこでどうなったのかは解からない。

だがその後は、全国の家庭に行き届くほどの物になった。


だから、【子供の着想】だからと言っても馬鹿にしないことだ。

・・これだけを言いたい為に、書いている(笑)


【京都・奈良】

・・は、すっ飛ばして。・・は、いけないかな(笑)

■父親の[ついでの観光]だったので、どこに行き、どこで何を見たのかは、正直、憶えていない。

京都は、金閣寺しか記憶に無い。

そのまま奈良に行き、大仏様を見て驚き、大きな柱にえぐられた穴の中をくぐり抜けた事だけは憶えている。

穴に入る前の恐怖と(笑)、出た時の喜びは(笑)、写真にも残っている。

10歳の刈り上げ君が(笑)、柱の穴から頭を出して、顔中で笑っている(汗)


【四国:今治】

■大阪からか、奈良からかは知らないが、夜行の船に乗った。

船で一泊して、朝のデッキで目一杯海の空気を吸っている写真が残っている。

潮風に吹かれた我が幼き姿は、なかなかカッコ良い(笑)


■今治でも『よく来たね』と歓迎された。

そこの工場の人は、おそらく私の家に泊まっていた番頭さんだと思うが、私のことを知っていた。

だから、いろいろと工場見学をしながら、教えてもらった。

天井から糸が降りて来ていて、穴の開いた型の中をカタカタと通る大掛かりな機械だった。

私の家にあった[木製織機]とは雲泥の差だ。

これを見れば、父親が薪にしたのも解かる(笑)

「凄かった」が、当時も今も私の感想だ。

出来上がる製品では無く、機械装置にだが(笑)


■そうした父親との旅行は、【春休みの観光旅行】とばかり思っていたのだが、長野ではダシに使われ(笑)、大阪では小馬鹿にされた。

・・気にもならなかったが(汗)

だが今思い出すと、観光地での想い出は殆んど皆無(笑)

父親の仕事先での事ばかりが記憶に残っている。


■数日前、『今日は、わざわざ長野からお客が来られたよ』との報告を受けた。

「俺って結構、長野の人と縁があるよな」と思っていると、【長野】の記憶のスイッチが入った。

そして、手繰るように思い出したのが、上の話だ。

じつは、もっと、何か別の話が浮かんで居たのだが、どうしても思い出せない(汗)

メモして置かないと、こうなる(汗)


■あらためて告るが、山口県内に[名入りタオル]を最初に広めたのは、私だ。

私が16歳(1965年)の時だ。

それ以前からも父親には「名入りタオルをお中元・お歳暮にしたら良いよ」とは言っていた。(・・と、思い出した)


■だがそれは、タオルそのものの販売方法を根底から変える話だった。

父親は「息子の案」として大阪の業者に相談していたようだが、(最初は)相手にもされなかった。

時勢・時局の違いはあるとは言え、実際には誰がそれを最初に実行したのかまでは知らない。

だが、東京から次第に根付き、日本全国の隅々まで至った。

私は、その一旦を担ったに過ぎない。




【中国進出で、倒産・廃業】

■20年ちょっと前から、繊維業界は、こぞって中国に工場を作った。

(それまでの、台湾・韓国と同じだと思っていたらしい)

いくら私が「中国は危険だ。工場進出はやめろ」と言っても、製造者・卸業者は、誰ひとりとして聞き入れる事は無かった。

彼等は、日本の機械と日本人技師・指導者を入れて、超大規模な工場を作った。


■最初は、中国綿の品質が悪く、綿そのものも粗かった。

水も充分で無かったのか、漂白が悪く、黃ばんでいた。

だから、日本の企業も油断していたのかも知れない。

高級品は日本で作り、一般品は中国製でまかない、儲けるようにしていた。


ところが、元々は日本が作った機械であり、日本の技術だ。

次第に日本製と変わらなくなった。

慌てた業者達は、政府に[輸入規制措置]を訴えるが、時すでに遅し。

日本中に、日本製と同程度の品が溢れかえった。

単価で敵わない日本の企業の殆どは、廃業してしまった。


■もちろん、こうした第1次産業の繊維業であれば、日本に復活させるのは、そう難しいものでは無いし、中国以外でも可能だ。

今では、ベトナム製やタイ製も増えて来ている。




【中国に真の自由化が為されなければ・・】

問題は、先日のような3000人規模の経済関係者だ。

どんなに贔屓目に見ても、[朝貢]にしか見えないのだが。。


本気で中国と良好な関係を築きたいなら、目先ではなく未来を見据えて、本気でモノを言え。

習近平氏や胡春華氏の心を揺り動かすほどの、モノを言え。


私は、モーソーで(笑)、そうしている。

習近平氏や胡春華氏と【心】で話し、中国が自由な国になったモーソーをしている(汗)

せめて、そうした未来を夢見て、本気で取り組め。


おそらく中国は、『通常戦では(米国に)敵わない』と気付いている。

だから【核】だ。核こそが彼らの武器だ。

米国や旧ソ連は抑止力として核兵器を作った。

だが中国は、【使用する為に】作っている。

たとえ核戦争になっても、『国が管理する13億人が減って助かる』と思っているかも知れない。

あくまでも推測だが、あながち大デタラメでも無いかと思う。


だからこそ、中国の核兵器を何とかしなければならない。

無力化する方法を作り出さなくてはいけない。

その為には、子供のたわごとでも(笑)、大人の寝言でも(笑)、聞く耳を持つべきだ。


■そうした核が飛び交う世界になって欲しくは無いが、現実はそちらの方向へと向かっている。

南沙諸島でも、アメリカ軍が『我が国(中国)の領域から出ろ!』と、警告を受けた。

アメリカ軍とて、核戦争を想定したら、そこから一歩踏み込むのは難しい。


■[幸福の科学/幸福実現党]は、数年前の霊言で【尖閣はフェイント、実際には南沙諸島を狙う】との情報を取り出した。

【沖縄は中国のものにする】とも。

今、その言葉通りになっているが、どこの政党が聞き入れてくれたか?

遅きに失しはしないか?


子供のたわごとのように思えても、未来が子供の言っていた通りになる事だってあるのだ。

そのために、私の実例を書いた(これこそが本音)。




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Trackback [0] | Comment [2] | Category [政治・経済] | 2015.05.26(Tue) PageTop

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No title

ちなみに、実家では、

いまだに、お袋は、

鉄製足踏みミシンを現役で使ってます。(マジで)

2015.05.29(Fri) 17:38 | 英 [URL] | 編集 | ▲PageTop

No title

ええっ!?

それは・・、なんと言ったら良いのか。。

「貴重なことだ」とだけ、言って置きますね ^ ^


・・私の妻も、そうかも知れません。

『足踏みミシンの方が使いやすい』と言ってますし(笑)

一応、捨てずに残してあります。・・ジャマですが、[物置台]になっていますね(笑)

2015.06.01(Mon) 23:17 | phoenix [URL] | 編集 | ▲PageTop

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