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◆【自分記:第4回】再建から成功への道のり。


 
 【過去記事移動】 過去、このブログに書いている中で、今でも使えそうな話を移動します。 - 2013年11月23日のブログより。



【余談】


前頁の作業着を着ているのは私だが、私は、なで肩の為、着痩せするタイプのようで、見た目と中身は違うようだ。

写真の頃の私の太股は80㎝、上腕部は50㎝、力こぶを出すと60㎝あったのだが、服を着るとそんなに見えないらしい。



■もともと体力がある自分だったが、父の死後は、お金の掛からない鉄棒等で遊んで居たし、本屋と病院の仕事は、私の身体を鍛えてくれた。

本屋での重労働は、重い荷物を握り締めるので、握力(右75㎏、左55㎏)と背筋力は(300㎏以上:機械の測定限界)、異常に強くなっていた。

鉄棒に人差し指1本でブラ下がり、右手は10㎝ブロックを割り、両手の指先でリンゴを真っ二つに引き裂いて居たので、隠し芸にはもって来いだった(笑)



■18歳の時には、松山大学の空手部より破壊力を持っていたので、他人を殴るような真似は絶対に出来なかった。

空手部の先輩達とも遊んでいたので、多少は空手の心得があるので、右手正拳突きをすれば、おそらく相手の骨は簡単に砕けてしまう。

禁じ手の指先目潰しをすれば(怖くて出来ないが)、相手の両目は破壊して失明してしまうだろう。

だから、私の右手は封印だ(笑)


20050206-1.jpg 


■この写真は、ネット知人に手相占い(笑)してもらう為に、デジカメで撮ったものだ。

私の両手は[ますかけ]という珍しいタイプのようなので、それを見せる為に写したのだが、カメラに映っていたものには、なぜか?指先が光っていた。

こうした光は、子供の頃から実際に見えていたので、私は長年[人体エネルギー]だとばかり思っていた。



■入信前に[大川総裁]のビデオを見せて頂いた時、このような光が見えて「?」と思ったら、ドンドン大きくなって、TVからはみ出した事がある。

それが「大川総裁のオーラです」と説明されても、オーラは[人体エネルギー]だと思っていた私には、すぐには納得が行かなかった。

それが本物のオーラだと解るまで、それほど時間は要しなかったが、最初の頃は、(無機質の機械から、オーラが出るはずが無い)と思っていた(笑)

[人体エネルギー]は人体から出るものだとばかり思っていたが、それが間違いだと気付かされたのが[幸福の科学]の教えを学んでからだった。




【創価学会信者さん達を、知る】


本題に入る。

1969年12月。

山口県に帰って来た私を待っていたものは、予想通りのものだった。

M伯母の「県内で治療」の言葉は嘘であり、私を帰す為のものだった。

その後は、仕事をしながら、自宅治療をせざるを得なかった。



神戸から来ていた父親の従弟は、自分の力不足を悟ったのか、神戸に帰っていた。


怠け者のAさん(当時40代後半)は、相変わらずの自分勝手な週休3日制だ(笑)。


仕事に出て来たと思うと、本来は営業員として雇っているのに、女工さんに混じって働いている振りをしている。

ほんとうに役に立たない怠け者としか言えない人だが、今と違って簡単にクビにする事は出来なかった。

【終身雇用制】が、世間では当り前になっていたからだ。



■それに、父親が亡くなった時、工場の仕事を一番よく知っていた人なので、嫌々ながらもAさんを頼らざるを得なかったこともある。

それに増長したAさんは、まさにやりたい放題だった。


Aさん関係の創価学会の取引先も、平気で嫌みを言う人達ばかりだった。


不思議で仕方なかった。



■母親の弟に嫁に来た人(叔母)も創価学会に入り、狂信的になって、いつも家の中は夫婦で大喧嘩。

とうとう息子(私の従弟)は家出をした。


(宗教者とは、こういう人達なのか)と、次第に私は、新興宗教に対してはナナメ目線で見るようになった。



ちなみに、狂信的な学会信者だった叔母は、最近、軽いボケが来ると同時に創価学会から見放されたようだ。

母の会葬御礼として、[幸福の科学]の【生命の法】を渡したら、「この本、とても良い本よ、読んでみてね」と、親族の者達に声を掛けていた(汗)

私が言うより、余程、効果的で(汗)、親族には大きな反響があった。


半ボケ状態の叔母でも、魂は【本物の悟りとは何か】を知っているのだろう。



Aさんは、やがて退社して他の職場で働いていたが、聞こえて来るのは【私と、私の工場の悪口】ばかりだった。

「(3万5千円の)給料が安かった」とも聞こえて来ていた。

冗談じゃない!当時の高卒の初任給が1万円前後の頃の3万5千円だ。

今の物価換算すれば、35~40万円になる額だ。


それも、ロクに仕事もしない怠け者だった人に払っていたのだ。

私は、【恩を仇で返す】ような真似をする人には関わりたくなかった。



■やがて、Aさんはガンで亡くなった。

母や女工員さん達と[お悔やみ]に行った時、

「・・ガンだったそうで」と言うなり、『ガンじゃありませんで!』と、爆弾声で奥さんに叱られた。

怒鳴られた。


だが、私が受けた医者からの報告は、間違いなく胃ガンだったのだ。

帰り際、女工員さん達が「創価学会って、ガンで亡くなったらいけないのかね?」、「恥なんじゃないの?」・・のような話をしていたのを憶えている。





【新規事業開拓】


工場の仕事は、16歳の私が半年程度で把握していた。

高校生の私が、Aさんを追い抜く仕事をしていたので、Aさんは女工員に混じって仕事をするようになった。

私が提案した新規事業計画には耳も貸さず、実質的な社長である私の「営業に出てくれ」は無視された。

『出来るものか』とあざ笑うだけだった。



■工場に戻った私が、「営業に出てくれ」と言う度に、Aさんは【畑が無い】と言い返す。

【畑が無かったら、耕せばいいんだ!】と、私も負けない(笑)


この時の私は20歳。Aさんは50歳で、親子ほどの差があったが、それほど犬猿の仲だった(汗)

どう考えても、若い私の方が、常識的だと思うのだが・・。


Aさんは、仕事中でも創価学会の話とエッチな話ばかりしていたので、工場のみんなからも嫌われ者だった。

そこに、怠け者と来たら、【辞めて欲しい!】のだが、私達が「辞めてくれ」と言えない事を見越して、好き放題のことをしていた人だ。

当時の私には、車の免許を取りに行く暇も金も無く、会社の車を自家用車代わりに使うAさんには、ほんとうに辟易としていた。



■私は、とうとう、バイクに箱をくくりつけ、見本を詰めた風呂敷包みを入れて営業を始めた。

このバイクで仕事する案は、松山の本屋での仕事がヒントになった。


『誰が買うものか』と、あざ笑うAさんを横目に、毎日毎日、店という店、会社という会社、手当たり次第に新規開拓を始めた。


[幸福の科学]に例えれば、[ノック献本]と同じこと。

いや、そんな柔なものではない(ごめんなさい)


それまで誰も知らない、見たこともない仕事のセールスをしているのだ。


生半可な思いでは、心掛けでは、話にもならない。

それも若干20歳の若造が・・だ。



当時、私を動かしたものは【この仕事は絶対に成功する】という確信だった。

それが大人達には解らない。

だから解ってもらえるまでの根比べだ(笑)


この間、何千という店や会社に飛び込み、追い出され(笑)、それでも諦めずに何度も何度も伺っていた。

どこかひとつ、どこか1店でも穴が開けば、後は関が崩れるように拡がるイメージを持ちながら、

どこに行っても追い返されていた(笑)



そして、とうとう、その時が来た。

今では県内大手になったある企業が、耳を傾けて、興味を示してくれたのだ。


「これは行ける」となり、その企業と連携して、私の企画したものが県内に出始めた。


私が描いていたイメージ通り、一端関を切ったら拡がるのは早いもので、「あっ」と言うまに、僅か数年で世の中の主流になった。

今では、どこの家庭にも目立たず普通にあるので、そんなものにも、そういう時代、そういう時期があったとは誰もが思わないだろう。



そうして、16歳の頃から考えていた新規事業は、大成功となった。

そして、すぐに極く普通に家庭や職場に浸透しているので、誰も気付かず、【それが当り前】と思っているのが、なんだか心地良く嬉しかった(笑)



■私のやる事に、嫌みやあざ笑っていたAさんは、私の新規事業の成功で、居心地が悪くなったのだろう。

やがて、辞職願いも何も出さずに、仕事に来なくなった。

迎えに行けば、【辞めたんだ!来るな!】と言うので、退職扱いにした。




【祖母の死】


昭和46年9月。

私が22歳の時、やっと車の免許を取る余裕が出来たので、夜間自動車学校に通い始めた。

産まれて始めて乗った車は、2000ccの大型車トヨタクラウンだ。

デカいので、まったく感覚が解らず、溝に突っ込んでしまった(笑)

・・が、若かったので、すぐに慣れて仮免を突破し、本試験まで2回の運転コースを残して居た日だった。



家に着くと、家の中に明々と灯が点いている?

帰るなり、玄関で妹が「お兄ちゃん・・おばあちゃんが・・」と、泣きながら言う。

(なにごとだ!)と、家に入ると大勢の親戚達が来ている。

その先には、布団に寝かされた祖母が居た。

駆け寄るなり、そのまま腰が抜けたように、へたり込んでしまった。



■祖母は、その日に限って「○○(私)は、まだ帰らんのかのう・・」と、何度も言いながら風呂に入り、そのまま心臓マヒで倒れたようだ。

「おばあちゃん・・あんたの帰りを待って・・」と、母も、妹も、親戚達も泣いていた。


だが、目の前には、モノ言わぬ祖母が居るだけだった。

大好きだった祖母が、突然、モノ言わぬ人となった事に茫然自失となり、目の前で何が起きているのか、しばらくは理解する事が出来なかった。


親戚の者達は、そんな私を励ましながら、葬儀の手配をしてくれていた。



■父の死から6年、祖母が亡くなった。

父の時とは違って、少しは大人になっていた私だが、やはり、いきなり受け入れがたいものがあった。

おそらく、父の時より、心の準備が出来ていなかった分、涙は出ないが腑抜け状態だったと思う。



■無事、祖母の葬儀を終えて、私は毎日、近くにある墓に手を合わせに行っていた。

自分では、【普通】と思っていたのだが、工場の人達からは「○○(私)ちゃん、大丈夫かね」と、言われていたようだ。

人目には、私がフラつくように歩いているように見えていたらしい(汗)




【仕事の大転換】

祖母が亡くなった時は、仕事は順調で、逆に、父親の仕事が足手纏いに感じ始めて居た頃だった。

父親の仕事は、工場の従業員さん達を養う給料程度にしかならなかった。


考えた


祖母が亡くなった頃は、思い切って、父親の工場をやめようと考えていた時の、矢先の出来事だった。



■文章で書けば、ほんの数行だが、この間、どれだけ悩んだことか!


父親が死を掛けて、始めようとしていた仕事なのだ。


父親だけでは無い。祖父母が、親戚から譲ってもらった仕事だったのだ。


それが儲からない。

従業員を養うだけの工場では負債は返せない。


父親の負債を返すには、もっと身軽になるしかなかった。。



祖母が亡くなった事で、私は、父親の工場を閉鎖する決心が付いた。

今思えば、祖母が、そのように向けてくれたのかも知れない。


もともとは祖母が始めた仕事なのに。。



私は、名目社長のM伯父に、【事業の転換】を伝えた。

M伯父も了解し、工員を集めて「半年後に工場をやめる」ことを伝えた。

女工さん達とのトラブルは、何も無かった。

女工さん達も納得して頂き、工場は閉鎖に向けて準備を始めた。


[解散会]のようなパーティーをしたが人を雇うのは本当に大変だった。

年に数回のパーティーは、私が最も嫌いな行事でもあったのだ(汗)

なぜかと言うと、親子ほど歳が違う人達ばかりなので、居心地が悪いのなんのって(笑)



そして翌年、祖父母の代より続けた工場は閉鎖した。

機械類は、市内の業者に引き取ってもらう事にした。


私は、機械を台座から外し、外に並べて居た。

それを業者の車が磁石で持ち上げて、【ガッシャン!】と、車に乗せる。


・・いたたまれなくなった。。

父親が、あれほど力を注いだ機械が、今、目の前で、まるでスクラップゴミのような扱いで、車に積まれているのだ。

・・涙が、次から次へと湧き出して来る。


今の額にして総額5千万円の機械達が、ほんの僅かな額になって持ち去られた。


金額よりも、父親や祖母達の事を思うと、何とも言えない複雑な思いだった。


【諸行無常】を、身を持って知った。





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