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◆【自分記:第6回】名家産まれの期待される少年の、心の葛藤


 
 【過去記事移動】 過去、このブログに書いている中で、今でも使えそうな話を移動します。 - 2013年12月03日のブログより。



前回までは、仏教の教えの中にある、3大苦(貧・病・争)の中の、貧の部分の前半部(笑)を書き記した。

ただ記録的に書いたのでは無く、マイナス環境の中から出発して、いろんな人達との相克・出逢いを通して、課題克服して来た事を言いたかった。


だからこそ【人ありてこそ我あり】と、自分の人生を語る時には、他人との関係を書いている。


当然、悪役の人達も出て来るが、私自身は本物の悪人とは思ってもいない。

「罪を憎んで人を憎まず」ではないが、それほど高尚な精神の持ち主ではないが、行動としての悪(業)とおぼしきものを、人物と共に表わしている。



■私自身は、嫌な言葉を浴びせられたとしても3日持てば長い方だ。

大抵は3日以内に忘れてしまう。


そんな私のはずが、3大苦(貧・病・争)の【病】の中に居た事がある。


【争】と重なる部分もあるが、主に【病】に付いて書いてみたい。


【人生、山あり谷あり】を言いたい為に、10歳頃までの私は自慢話のようになるが、お許しあれ。




【プロローグ】

私の家系は、大内義隆の直系子孫だ。

室町末期の戦乱期、大内義隆は京都公家達を大量に匿って、その京都公家を奥方にしていた。

大内義隆は戦乱の世を嫌い、本気で京都から長州遷都を考えていた文人武将だった。

その名残は、現山口文化(五重の塔、雪舟の庭、ザビエル教会、等々)として残されている。



■歴史上では、大内氏は全滅とされているが、大内氏が戦乱の世から匿っていた京都公家達は、川上村に逃げ延びて約200年間住んでいた。


だから正確には、大内氏は全滅などしていない。

むしろ、逃げ延びた京都公家達は、力を貯めて、後世に、吉田松蔭、乃木希典のような歴史上の人物を産み出している。

また、この公家達は、天皇家と同じく血筋を大切にするゆえに、400年間も同族婚の家系だった。



■大内氏は、日本で最初にキリスト教の布教を認め、教会まで建てた寛大な人物だ。

だから、その子孫である私が[幸福の科学]で学んでも、キリスト教には違和感は無い。


だが、キリスト教徒からは、排斥される
(笑)

恩知らずな人達だ(笑)



■冗談めいて書いているが、私としては、この部分を、しっかりと知って頂きたい。

あなた達(キリスト教徒)は、400年前の日本で、キリスト布教の足掛かりの手伝いをした恩人の子孫を排斥しているのだと。


私の先祖の大内氏は、あなた達のような考えの人では無かった。

寛大な心を持つ人であり、仏教文化の京都から遷都を模索しながらも、異教徒のあなた達をも受け入れて来たのだ。


それが、どれだけ大きな意味を持つのか、あなた達には気付いて頂きたい。



■大内氏に力があったからこそ為せた業であるが、【善いものは善い】と素直に認める事が出来た人なのだ。

大内氏の恩恵を受けたあなた達も、【善いものは善い】と素直になって頂きたい。

・・と、願っている。




【血筋と伝統】

戦後、そうした家柄に、初めて他家の嫁達が来た。

私の母も、その一人だった。


おそらく・・だが、各家々で、それぞれ相当な確執があったと推測する。

私の家もそうだった。


威厳ある祖母と、強度のヒステリー母親は、双方が【相容れぬ】ものがあった。

父親は人望家で、父の周りには、いつも人が寄っていた。


そんな家庭に、私達3人きょうだい(私、弟、妹)が産まれた。



■私が特殊な事情(神様の予告通り)に産まれた事で、親族会議が開かれ、私の名前に大内の長たる証の【義】の一文字が与えられた。


それ以来の私は、もの心付いた頃には、毎日のように風呂に入りに来ていた一族の長老達から特殊な教育を受けていた。


私は、記憶力だけは良かったので、3人の長老達から、いろんな事を教え込まれた。


「一族の歴史」も、自分達の子供達さえ教えていないのに、私だけに教え込まれた。



■どうして私だけなのか解らないが、たぶん、教えた事を記憶する正確さだと思っている。

102歳で亡くなった神戸の叔母も同じだった。

ふたりで摺り合わせた内容は、寸分違わないものだった。

たぶん、片っ端から伝えていたら、「伝言ゲーム」のようになって、どれが本当の事か解らなくなっていたかも知れない。

そうした意味では、私は「一族の長たる役目と、語り部の役目」を課せられたのかも知れない。

・・と、思っている。



■20年くらい前のTVで、「正統な大内の子孫は?」とやっていたようだが(私自身は見ていない)、残念ながら彼等では無い。

「家系図がある」だの、「鎧兜がある」だのと言っていたようだが、それは違う。

私の家にも、【正統な大内宝刀】があったのだ。


大内の子孫は意外と多いが、「正統な大内の子孫」を名乗るのなら【大内家の心構え】が教え込まれて居なければならないはずだ。

大内の基本は【モノよりは、心】なのだ。



■だが、当時の私には、そんな事はどうでもよい事だった。

「そんな事で、本家本元になりたいのなら、ご勝手にどうぞ」の心境だった。


御先祖が立派な人でも、今生きている人達の自堕落さ、我儘さ、高慢さに辟易していた私は、20歳の頃から「口を閉ざして貝になる」と決めていた。


私が黙したままで、大内の隠された歴史を、本気で終わらせようと決意していた。

そうして、40年間以上、黙していた。



■私の考えが変わったのは、[幸福の科学]で【どんな人にも、その家、その家族に産まれた意味があります】と、教えられたからだ。

「・・そうか、あの人にも、この人にも、それぞれに産まれた意味があるのか」と思った私は、ポツリポツリと信頼出来る人達へ語り始めた。


だが、【大内家の心構え】は、未だに誰にも教えていない。

もちろん家族にも黙している。


(理解出来る後継者が現れたら・・)と思いつつ、20年が経った(笑)

ヒントは、これまで語った中にある。




【幼少期】

そうした私の幼少期は、自分で言うのも変だが、他の者の追随を許さないほどのものだった。

幼稚園期は、5人の超少数派の校区違いの地区から来ていた私が、百人を超える他地区の者を制して、すべてに置いてリーダー役をしていた。

入園挨拶、送辞・答辞、学芸会の主役、中学校での先頭大太鼓、等々。


おそらく、百人を超える他地区(校区違い)のお母さん方から「反発」のようなものがあったのかも知れない。

私の母親は、一切の行事に、運動会にも遠足にも、出て来なかった。


校区が一緒になる中学校入学時に、数人の人から『あなたが○○君なの?』と言われて、「なんだ?このおばさん?」と、不思議に思ったものだ(笑)




【小学前中期:知力・体力が中学生並の内気な野生児】

幼稚園から小学生になった時、他地区の幼稚園に通っていた私は、なかなかクラスに打ち解ける事が出来なかったようだ。

もともと、おとなしい性格(嘘ではありませんよ(笑))に加えて、知った者が居なかったので、そうだったかも知れない。


■だけども、不思議に、女の子の友達は多かった。

家に遊びに来る子も、女の子ばかりなので、父親から「○○の友達は女の子ばかりじゃないか」と言って居たのを憶えている。


別に私がモテたとか、そういうものではなく、その女の子達と一緒に、隣の地区に絵画の勉強に行かされていたからだと思う。

彼女達にとっては、唯一男の私が頼もしい存在だったようだ。

半世紀以上経っても(笑)、「○○君に、皆んながしがみ付いていた。大木のように頼り甲斐があった」と言われるが、私には嘘のように聞こえる(笑)



■だが、考えてみると、おとなしくて無口ではあったが、この頃から【責任感】だけは人一倍強かったと思う。

だから、隣の地区に女の子をゾロゾロ(笑)連れて行っても、誰も嫌がらせをする者は居なかった。

背が高かったので、2~3年は得をしたと思う(笑)



小4の時は厳しい先生で、毎日、朝学習(30分早く出掛けて、黒板に書かれてある小テストを解く)をさせられていた。

そして、列ごとに「列長」を決め(私はいつも列長)、1週間ごとに、列の成績順に並び替えをさせられていた。


夏は北側の涼しい順に。冬は南側の暖かい順に。

クルクル変わるので、私の列がどの位置に居たのか憶えて居ないが、とにかく激しい競争(原理)に晒されていた(笑)


・・当時は嫌で嫌でたまらなかったが、今思うと、とても熱心な先生だったと思う。

吉田松蔭先生のように
(笑)。(松蔭先生、ごめんなさい)


4年生なのに夏休みも無いのだ。


「列長」は、その列の最下位生徒と、毎日一緒に勉強を強いられ、どちらかの家で一緒に、「夏休み帳」+「自由勉強」をしていた。


遊ぶ暇など、ありはしない!(笑)・・は違うが、それほど勉強、勉強の先生だった。



■この4年生の時、「知能テスト(IQテスト)と学力テスト」とがあった。

全校だったのか、4年生だけだったのかは知らないが、先生が母親に「○○君は、学校で1番の150でしたよ」と、嬉しそうに言ったらしい。

母親も、「知能テストも学力テストも1番だったと言われた」と、嬉しそうに話していた。


そしてそれが、私の悲劇の始まりになる
(笑)

先生からも、母親からも、叱咤激励・・違う。

叱咤、叱咤が始まった
(笑)



■体力測定も、走る、跳ぶ、投げる等々、すべて中2~中3並だったので、先生からは「将来はオリンピック選手に」の言葉が並び立てられていた(笑)

3年生の時から、垂直跳びは黒板から上に手が行き危ないので、私だけが廊下で跳んでいた。

他クラスの者達まで窓から乗り出して、ズラリと見られるのが、とても恥ずかしかった。


そうした事で、本気でそうとう期待されていたのだろう。通知票にも「将来はオリンピック選手に」と書かれてい(汗)

そして、見事に期待を裏切った(笑)


なんたって、当のご本人は遊ぶ事が忙しくて、まったくその気が無いのだから(汗)


だから、先生からの嫌がらせ?が始まった。・・が、私は気が付かない。

「今日は、こんなことがあったよ」と、母親に報告していたので、勝手に母親が怒っていた。



まずは、「○○君は、利己主義者です」と言われた事だ。

4年生の無邪気な私には、その意味が解らない。知ろうともしない(汗)


先生が「この問題、解る人!」と挙手を求めても・・、誰も手を挙げない。


私には答えは解っていても、内気な性格なので(本当ですよ)、手を挙げなかった。


だが、「○○君、答えなさい」と当てられると正解を言うので、「正解を知っていても他人に教えない利己主義者」と言われたのだ。

中学生並に体格も良いので、先生には、そのように見えていたのだろう。


母親は、「息子の性格知って置きながら、なんて言うことを!10歳の子供に対して利己主義者とは何事か!」と、激しく叫んでいた。

だけども、先生にまで言って行く勇気は無い。

だから、言われっ放しだったが(笑)、私は気にもしていなかった。


その態度が、ますます横柄に見えたのかも知れない。

先生の嫌がらせは、エスカレートし、4年生最後まで続いた。



今は、こうして、嫌がらせと書いているが、ほんとうに私は何とも思ってもいなかったのだ。

少しでも反骨心があれば、もう少し伸びたのかも知れないが(笑)


何とも思ってもいなかった証拠に、卒業後も50代まで、その先生と道で出逢う度に「先生!」と声を掛けていたし、年賀状のやりとりをしていた。

書きながら気付いたが、今は見掛けなくなった・・。

お元気なのだろうか。



■こうして、さんざん先生達の期待を裏切っていたと思う私だが、ご当人は平気の平座で何とも思っていなかった(汗)

ガキだ(笑)


今あらためて、こうして書いていると、先生の気持ちが分かる。

出来るはずなのに、しない私が、そうとうに、じれったく思われた事だろう(汗)



■そう言えば、5年前の坂本龍馬や吉田松蔭先生のメッセージ公案でも、同じような言葉が降りて来ていた

松蔭先生から叱られてた(汗)

今は、松蔭先生から叱られないので、とうとう見限られたかな(汗)




【小学後期~高校2年:さまざまな恐怖心から来るノイローゼの渦中】

そして、思春期が早く来たのか?私は5年生の半ば頃から、些細な事で悩むようになった。


この世のあらゆる事象が信用出来なくなり、恐怖心の虜になってしまった。

何がそうさせたのかを書けば、馬鹿馬鹿しいと思われるだろうが、当時の私には深刻な問題だった。


たまらなくなって大人や先生達に質問しても、答えは帰って来ないのだ。


「そんな事、考えるなよ」と、笑われる事が、殆どだった。


そのまま中学生になっても続くが、誰一人として、私がそんな苦しみを持っているとは気付かない。

むしろ、中学生になって、学べば学ぶほど疑問が出て来て、誰も答えてくれない事に、不安はますます増大した。



■例えば(汗)

みんな平気で居るけど、地球の引力が無くなったら、どうするのか?

地球の自転速度が、一瞬でも速くなったり遅くなったりしたら、地上のものは宇宙に放り出されてしまう。みんな怖くないのか?

大気圏(約1000Km)のうち、富士山の3Kmで呼吸困難になり、エレベスト山では酸素ボンベが必要なほど、空気の層は薄い。
その薄い空気の中で世界中の人間が生きているが、本当に充分なのか?

摩擦は、なぜ、あるのか?摩擦係数ゼロになったら、この世はどうなるのか?


等々、あれこれ考えれば考えるほど、答えももらえず、ひとりで闇の中に沈んで行き始めた。


大人になった今は、この答えが出なくても納得出来るが、子供の私には、どうしても答えが欲しかったのだ。

【求めても求めても(答えを)得られない苦しみ(求不得苦)】を、勝手に作っていたのだ。

ガキのくせに(笑)



この頃の私は、自然と笑っていたし、飛び跳ねていたので、誰一人として、私がそんな苦しみを持っているとは気付かない。


だけども、【運動場に立つ】事すら、パニック(症候群)になりそうな程の恐怖の最中に居た。

実際には、パニック(症候群)には成った事は無いが、寸前までは度々行っていた。


私の場合、パニック症候群と逆で、パニック状態になると【呼吸が止まる】のだ。

「息が出来ない苦しさ」を味じ合う事は、度々だった。



毎日が、そんな中に居たのだが、親に言っても一笑に伏され、先生も気付いてくれない。


とうとう中2の時、学級委員長の身でありながら、風の強い日に「俺、今日の朝礼はサボる」と言ったことがある。

悪気はまったく無いのだ。

風に吹かれる事で呼吸停止になるので、風が怖くて避けただけだった。



■そしたら、知らないうちにクラスの仲間が真似をして、半数の男子生徒がサボタージュだ(汗)

2階から朝礼を見て「ぞっ」とした。私のクラスだけ列が極端に短い(汗)


担任が青筋立てて駆け上がって来た。

学級委員長の私は、木っ端微塵に叱られるのを覚悟したが・・。

担任は、私が「言い出しっぺ」と知るや、何も言わずに職員室に戻った?


今考えると、担任は、学年担任でもあったので、【学級委員長が言い出しっぺ】と言いたく、したくなかったのだろう。

隠蔽教師のハシリだったかも(笑)



そんな状態の日々で、怖くて怖くて、授業などロクに身が入らない。


心の中はそんな大嵐でも、中学時代の私は、なんとか授業を聞いているだけで勉強は上位にいた。

必須5教科は、ほぼ満点だったが、特殊教科が最悪で(汗)、9科目合計の中間・期末試験では、15位~40位をウロチョロしていた。

(その位置に居れば、母親に叱られないので、上位を目差すなどの気持ちは無かった)



■学校の勉強に集中出来なかった私にとっては、中間・期末試験でさえ応用問題のようであり、いつも実力テストと変わらなかった。

だから、必須5教科だけの応用問題ばかりの実力テストでは、トップクラスに躍り出ていた。


だけども、私が上がったのでは無く、他の者が下がっていたのだ(汗)

特に中間・期末試験では上位を占有していた女子達は、応用問題ばかりの実力テストでは、殆どが上位に居なくなっていた。


※ちなみに、この必須5教科のほぼ満点は、私の娘も同じで、持って帰るテストは100点ばかりで、通知票はオール5だった。

とても娘には適わないと思ったものだ。


だけども、娘が持って帰るテスト内容は、私達の時代とは比べものにならないほど、劣化していた。

息子・娘のテストを見て、私は「ゆとり教育」の弊害が産み出した【学力低下】を、目の当たりにしたものだ。




【ノイローゼから、次なる段階へ】

中学時代の私は、友達は多かった。

だが、それでも【不安と恐怖の孤独感】の中に沈んでいたは、持てる力の半分も、ひょっとしたら1/3も出せていなかったかも知れない。


授業時間中も恐怖の虜だった。

背が高いので、幸いなことに常に最後列に居たので、すぐ傍に壁や柱がある事が、少しばかりの安心感をもたらせてくれていた。



■頭の中は【不安と恐怖】に支配されながらも、勉強も運動も上位に居たし、普通に笑顔も出ているので、誰も気付かない。解ってもらえない。


母親に訴えようものなら、「あんたはキ○ガイか!」と怒鳴られて居たので、我慢するしかなかった。


普通の母親だったら、おそらくこうした言動はしないだろうし、「どうしたの?」のように心配すると思うが、私の母親は特殊な人間だった。


この母親との葛藤が、やがて本格化して来る。

そして私の病気の数は、どんどん増えて行く。


※ちなみに私は、20歳までは、大きな病気はもちろん、風邪すらも滅多に引かないタイプだった。(今も風邪は滅多に引かない)

全校でインフルエンザ(香港A型)が蔓延した時、中3生徒は自主登校が続いたが、1度も欠席しなかったのは私一人だけだった。

(おそらく出席しない奴等にも、ワザと怠けて休んだ者が居たと思っている(笑))


私の中には、【風邪くらい何の事は無い。寝てれば治る】の思いがあったのだ。


それほど私は小学から高校まで病欠は1度もなく、20歳までは病院に行ったことも無かったのだが・・。





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