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◆【発明・発見は身近な処にある】私は疑問から始まり、創ることの喜びを知った。


本日、「未来にどんな発明があるとよいか」という、昨年の12月に収録された「Q&A」を見せて頂いた。

率直に、正直に言うと、納得はしたが、満足するまでには至らなかった。

【未来=遠方】からの質問が多く、その点を【身近なものからの視点】で、締めくくられていた。




■私の子供時代(小5~高2)は、今で言えば軽ノイローゼ状態にあり、その原因は【学べば学ぶほど、疑問が増えて居た】ことだった。

先生や大人に質問しても答えてもらえず、やがて、その疑問が恐怖になり始めて、軽ノイローゼ状態から脱せなかった。

だが、高2の時に父親が亡くなり、悩む暇も無い(笑)ほどの、大人でも逃げ出すような環境下に置かれ、いつのまにかノイローゼは消えていた。


■当時の私は、広い運動場に立つ事、ちょっと強い風が吹いただけでも、パニック症候のような、過呼吸とは逆の、呼吸停止に陥っていた。

息をしようとしても出来ない。そうした身体的恐怖と、精神的恐怖の日々に居た。

今から思うと、呼吸停止に陥っていたのは【自己暗示】だったと思うが、その渦中で藻掻いている時には、恐怖でしか無かった。




■当時の私が、何を恐れていたのかと言うと、【確実なものは、何ひとつ無いじゃないか】と言うことだった。

【摩擦】を習えば、(摩擦って何だ?絶対に無くならないのか?無くなった場合は?)と先読みをし、取り越し苦労をして(笑)、勝手に一人で苦しんでいた(汗)


【遠心力】を習えば、実際にバケツに水を入れてグルグル回して試していた。
面白くもあったのだが、ちょっとでも力を抜く事は出来ないし、バケツが真下の状態で止めないと、真上で止めたら大変だ(笑)


【引力】を習えば、「そうしたものがある」と教えられるだけで、引力そのものが何から出来て、何の為にあるのかまでは教えてもらえない。


そうした事から、地球の引力と遠心力の関係を考え始めたら、(ほんの僅かでも引力に変化が起きたら、
遠心力とのバランスが狂い、地球上のものは吹っ飛んでしまうじゃないか)と怖くなり、広い運動場に立てなくなった
(汗)



【磁力】を習えば、これまた非常に面白く、大きな釘にエナメル銅線を巻いて電磁石を作り、手作りのモーター、ベル・ブザーや、スピーカー等も作っていた。
だが、そうした磁力は存在しても、磁力が何ものかが解からない。


【地磁気】を習えば、(じゃあ、地球ゴマのように安定させている地磁気が無くなれば、どうなるのか?みんな怖くは無いのか?)と(笑)


他にも、【放射線】、【太陽の黒点、太陽風】、【分子・原子・素粒子】と習えば習うほど面白かったが、ますます疑問が増えて行く(笑)

誰に訊いても「そんな事考えるなよ」と言われるだけで、その疑問が解けない事が苦しみだった(笑)

そうした【疑問ノート】を書いて残して居たのだが、母親に風呂の薪にされてしまった(笑)

母親から見たら、ほんとうに【どうでも良いこと】だったのだろう(汗)

だが、そうした【どうでも良い疑問】が、後の私のアイデアに繋がったと思う。




■16歳の時に考えた新規事業は、何等の奇抜なものでは無く、【使い道を変えただけ】のものだ。

詳細を書く事は出来ないが、その発想そのものも、私のものでは無く、「都市部の一部で使われている」と、ある業者から小耳にはさんだものだ。

私は、「都市部の一部でも使われているのなら、この山口県でも出来るだろう」と、思っただけだ。

そして、それを実際に実行しただけだった・・簡単では無かったが(笑)

だが、県内では誰よりも速く手掛けた事で、その物に関しては県内の先駆者となり、数十年間は他の追随を許さなかったのも確かだ。


■実際、15年前、地元のTV局から「県内の○○の先駆者」として紹介されて、報道された。

1時間番組中の半分の30分にも関わらず、4時間前から10人以上のスタッフが準備を始めて、驚いた事がある。

その時の番組は、息子がHi8ビデオに収めて居たようだが、「お父さん、ガチガチに上がってたよ」と言うので(汗)、未だに見ていない、見られない(笑)




■また、現在の仕事は、この本業が横ばいになり、先行きの見通しも悪いので、【お金を掛けずに、直ぐに出来るものは、何か】と、考えた処から始まった。

【最小限の投資で、妻やパートさんに任せても出来るものは、何か】だった。

そう考えたら、【自分が蓄えた知恵を使うしか無い】と思い、いろんな趣味を持っていた私(汗)の、趣味のひとつを仕事にする事だった。

敢えて自画自賛させて頂くが(いつもじゃないかと言わないで (汗))、その趣味分野に関しては、県内の先行同業者の指導をしていたくらいのものだった。

だから私が店を開くと言えば、先行同業者達から『頼むからやめてくれ』と懇願されて、彼等と話し合った。

そして、彼等が『3ヶ月後には出店する』と言うので、私が身を退く形になった。

だが半年経っても、1年経っても出店しないので、
彼等に「約束を守らないのなら店を出す」と伝え、『仕方ないですね』となり、私は始めての店舗を持つに至った。


■だが、実際に店舗を出して見ると、私のアマチュア知識と、彼等が10年以上掛けて培ったプロ知識の壁は大きく、その差はとてつもなく大きく感じたものだ。

また一方では、後で知ったのだが、彼等は彼等で、彼等の知らない事を知っている私を怖れていたようだ。


そして私は、彼等が持ち合わせていない経営ノウハウも少しは持っていたので、彼等に真似が出来ない、私独自の事業展開を始めた。

解りやすく言えば、県下全域にネットワーク・システムを作ったのだ。

さすがにそれは困るらしく、またまたお願いされて引き下げたが、一部には残して置いた。

(こうした事でも、非情になれないのが、私の欠点だとは重々承知している(汗))


■私が店を作った頃には、同業後発店が続々と出来たし、資本金の大きい店も出現した。

だが、私は、そうした先発店も、後発店も、まったく気にならなかった。

他店に無い、独自の商品と販売網を持っていたからでもあるが、本業に+αという副業の店という、気楽なものが大きかったと思う。

とは言え、私は「やるからには、日本一になる」と大望を抱き、実際に公言していた(汗)




■本業の傍らの、殆どは妻とパートさん達に任せていた副業の店だったが、私は他店には真似が出来ない事を、次々と始めた。

本業の取引先と連携し販路を拡げ、日本の同業者のどこもやっていなかった、PC管理と、それを利用した通信販売を、同時並行で行った。

山口県内の店は、それぞれの地域店で終わっていたが、私の販路は最初から日本全体だったのだ。


実際の店舗規模としては都市部の業者には敵わない。だが、その都市部の店でも地域店だ。

最初から全国販売を目標にして、同業者としては最初にネット販売をした私は、ほんとうに、ネット検索上では【日本一】になっていた(笑)

口と思いでは、「やるからには、日本一になる」と大口叩いて居たが(汗)、店舗規模からすれば適うはずも無かった事くらいは解っていた(笑)

それだけの【意気込みだ】と、言いたかっただけなのだが、実際には、ネット検索上だけでも【日本一】になっていた。2年程度はトップに居たと思う。

今は、同業者も同じ事を始めたので、トップには居ないが、トップページには居る。




■じつは、私の秘めたる野望は(笑)、そんなものでは無かった。

当時は、県内の同業者がウジャウジャ出て来ていたが、正直、目の前をウロチョロするジャマものでしか無かった(笑)

だから、秘策中の秘策を打ちながら、弱った店を次々と買い取って来た。

大袈裟に言えば、【吸収】であり、良心的な【M&A】だ(笑)

秘策中の秘策は開かせないが、決して悪どい事では無い事だけは書いて置かないと(笑)、誤解されては困る。

私は、同業他社が真似が出来ない手を打って居たのだ。


それは、【人間関係、信頼関係】があったがゆえのものだ。


■そうこうしている内に、【ネイチャー誌】ほどの大きなものでは無いが(笑)、日本の専門業界紙に見開きカラーで紹介された。

そして、東京の[JFN]という処の、大○保加○子さんと言う人から、約40分の電話取材を受けたが、当時の私には[JFN]が何かも知らなかった(汗)

取材中にFMキー局だと教えられ、それでも信じられなかったが(汗)、その数時間後に「いやぁ、本当に楽しいおじさんでしたね」と大○保さんが言われてた(汗)

いつのまにか、前述の、地方TV局とは大違いの自分に成っていた。


■そんなこんなで、かつては山口県内だけでも、30~40店舗の同業者が居たが、今は、殆どが消え去っている。

10店舗くらいは、私が吸収(この言葉は嫌い)・・、私が引き継いでいる。

『やめるから買ってくれ』と言われた店なので、良心的な【M&A】だ(笑)

ただし、そうは言っても仕事は慈善事業では無いので、約に立たない商品は買わない。

そうして、なんとか生き残っている。

私の創業時のイメージとしては、「10年間は大丈夫。もしかしたら15年間は行けるかも知れない」と言っていたが、もうすぐ丸20年になる。

想定範囲を超している(笑)

その分、今こそ大きな変革、変容、事業革新が重要になっている。




■と、まあ、こうした人生を送って来た私だが、逃したチャンスは数多い。

それを嘆いては居ないが、【実行、実践】しなければ、成功も無いと言うことだ。


■一番印象に残っているのが、1976年(当時25歳)に【貸しレコード店】を広島でやろうとしていた事だ。

母親の猛反対で、いや猛攻撃で断念せざるを得なかった。

だが、その5年後に東京の大学生が、友人達にレコードを有料で貸して、商売になると思ったようだ。

「黎紅堂」と言う会社を作り、事業展開をしたようだが、やがては倒産に至った。

これは、私から見たら、「やり方」が悪かっただけで、その5年前に、私が同じ仕事をしていたら、別の方法を用いていた。

「黎紅堂」は倒産したが、【レンタル】と言う面だけを見れば、現在の【レンタルCD・DVD】の店に変わっている。

そうした事(レコード、ビデオのレンタル)は、私の視野には入って居たのだが・・。



■また、お中元が、デパート専用の時代、私は【ギフト専門店】を画策していた。

まずは信用ある店舗を築き、その次には、通販をも念頭に置いていた。

だがこれも、断念せざるを得なかった。

そしたら、5年後には、市内で1番先の【ギフト専門店】が出来て、次々と乱立して行った。

私がやろうとしていた事なので、彼等にアドバイスをしながら、単にデパートの品を取るのでは無く、新分野の開拓を提案した。

解りやすく言えば、【ブライダルと葬儀】だ。

一時期、そうしたものが流行した事を記憶されている人も居るかと思う。




■この頃、私の大阪の知人が来ていたが、独立して、小さな倉庫のような処から出発した人が居る。

新婚旅行で大阪に立ち寄った時、その会社も覗いてみたが、間口が狭く奥に長い、[ウナギの寝床]のような会社(倉庫)だった。

前を向いて歩けず(笑)、カニの横ばいのように狭い通路を歩く。

知人の社長が歓迎してくれたが、応接は【隣の喫茶店】だった。

そこで、いきなり行ったにも関わらず「これ、お祝い」と、ご祝儀を頂いたのが、未だに焼き付いている。


■そして、その知人の販売員が、何も買わないのに来てくれていたが、私が驚いた事が数点ある。

ひとつは、その歴代販売員達全員が、【会社を誇り、社長をベタ褒め】にしていた事だ。それも上辺(うわべ)では無く、心底言っている。

社員が「うちの社長は、うちの社長は」と、褒めている。

訊いている私も嬉しくてたまらなかった。


もうひとつは、持って来るカタログが、年々大きく、厚くなって行っていた事だ。

開いて見ても、商品の充実度が増し続けていた。

時折、その社長に電話して、「すごいじゃないの」と言っていたが、『いや、まだまだですよ』の返事しか帰って来なかった。

そして、彼の会社もまた、仲間の会社を吸収しながら、成長していたので、その間、相当な無理をしていたことは、想像に難くない。

やがて、その会社は業界2位になり、社長は持病(痛風)で、会社を譲ったようだが、経営者陣には名が連ねてあった。


■10年前だったか、大阪に行った時、再び彼の会社を訪ねたが、自社ビルで大きな会社になっていて、名指しで訪問するには躊躇した(笑)

彼は留守だったので、封筒に献本と名刺を入れて帰った。

ところが、翌日は日曜日の朝だったにも関わらず、『○○さん!大阪に来るなら、前以て連絡してよ!』と、挨拶とお礼の電話が入り、驚いた。

「いやいや、もうあなたは、私にとっては雲の上の人だからね、そっと訪問して帰ったよ」と言うと、『そんな水くさい事を言わないでよ』と、相変わらずだった。

昔の彼のままだった。

今、ネット検索して見ると、まだ名前が出て来るので、頑張っているようだ。

◆連結子会社代表取締役の異動に関するお知らせ-シャルレ


■1社員、1従業員から、シャディに次ぐ、業界2位まで昇り詰めた彼には、とにかく【人徳】があった。

もちろん私が、尊敬している人物のひとりだ。

その彼の【人徳】が、多くの人を招き寄せ、信じられない程の業績になったと思っている。

引退後の今も、私と同じく(笑)、小さな会社をしているようだが、また「○○さん!」の元気な声を訊いてみたいものだ。




貸しレコード、ギフト専門店から、いつものように話がそれたが(汗)、私の本心を語っている。

■他にもやりたい仕事やアイデアはあったが、何をしようとしても【現状維持を是とし、新しい事をすると罰が当たる!】と、大暴れする母親が居たので(汗)

私は母(家庭)を取るか、仕事を取るか、その両立させるかと、いつも岐路に立たされていた。


結局、家族を捨てる事が出来ず、両立の道を選んだので、町工場から脱却し切れていないが、それはそれで良かったと思っている。


その間に知り合った知人達は、対面して話す間柄でも1万人は超している。

人数が多いのが良いとかでは無く、いろんな人達の話が訊けたのは、私の血肉になって行った。

その人達のキラリと輝く部分が、私は好きだったし、今なおそうだ。





■ただ、ブログを書くようになって、批判文が多くなっては居るが、憎くて言っているのでは無い。

私は、「こいつは何を言っても無駄だ」と思ったら、黙して何も言わない男だ。

見捨てた訳でも、怒っているのでも無く、自らが気が付くまで待っている。

「いつかは解かってくれるさ」が、私の根底にある。

それが良いかどうかは解からないが、そうした気長な側面を持つ私でもある。


その現れとして、先日書いた女性でも、15年間待っていた(笑)。

だが、決して彼女の事は忘れていたわけでは無い。ただ、時が満ちるまで待っていた。


■そうした【待つことが出来る自分】も、発明・発見かといえば、そうかも知れない。

子供の頃とは逆で、性急な答えや結果を求めなくなっている。

だが、答えを知りたいのは変わらない(笑)




■数日前、ある人と話していた。

「私の人生は何だったのかな?」と振り返って見た時、確かにいろんな苦しさも有ったが、そんな事より、【創ることの喜び】が大きく心に残っている。

思い出しただけでも、3つの自分の会社を立ち上げて、3つの他人の会社を立ち上て来た。

団体・組織や同好会・同窓会等は、少なくとも10以上の立ち上げに関わっている。

それ等をみても、ゼロから何かを創る喜びを感じる魂なのかも知れない。

・・と、話していたら、頷きながら納得されていた。


■これ等は、組織を創って来たものだが、子供の頃から【何か新しい物を創る】という気持ちは強く、物理学者になるつもりだった。

だが、その道は突然、寸前で閉ざされ、親の仕事を引き継ぐ事になった。

そして、親の会社は引き継いだが、仕事の中身は変えてしまった(汗)

もっともっと変えたかったのだが、前述のように、超保守的な母親が許してくれず、妥協せざるを得なかったのが、私の限界点でもあったのだろう。

その後は、各種団体や同好会・同窓会を創ったが、順調に動き始めたら責任者に全託して、また次のものを模索していた。


30年前[切手同好会]を創った時は、3人から出発し、15人を集めて、70人まで持って行って、後任に譲った。

今は30人まで落ちているようだが、その創世時の事は私しか知らないので、その時の、15人集める前までの論考を頼まれている。

だが、なにせ30年前で、ほんの僅かしか想い出せない(汗)

・・が、無理やりのように押し付けた形になった後任の為に、書かなくてはならない。


時折、出会う度に、「押し付けた形になって、今でも申し訳なく思っている」と言うと、『そう思ってくれているのなら、それだけで良い』と言われる。

私は、そういう点では、ほんとうに【人】に恵まれていると思う。




今の私は、マスコミが無視し続けている、本物の救国政党の[幸福実現党]の立ち上げには関わっては居るが、稼働するまでは応援し続ける。

もしかしたら、その為に、何度も死の病から生還し、こうして生きているのかも知れない。




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