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◆【平成松下村塾】の意味と語源。そして・・。


当ブログを見て頂いている方の中には、8/31の出だしに『何だぁ?』と思われた方も居られるかも知れない。

当ブログ記事が引用され、誤解釈されて、あらぬ方向へと話が導き出されていたので、引用記事の削除を求めたもの。

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【平成松下村塾】のブログ主の、HN:pheonix と申します。

■御ブログ内に、2010年に私の書いた記事を転載された【五街道を歩く】様の記事が、私の記事と共に転載されて居りますね。

公開ブログですので、原則、転載は構いませんが、私の記事を元に【私が伝えたい意思とは別の話】を書かれる事は、おやめ頂けますでしょうか。


文中には、異を唱えたい箇所もありますが、「そうした解釈もあるのか」と、勉強させて頂いております。

ただ、【松下村塾とイエズス会】を結び付けて頂いては困ります。


【※(1)】ここまでの情報では、「長州にある『松下村塾』が、日本の『イエズス会』(悪の結社)のご本家」という事が分かりました。


■あなた様が、「分かりました」と言われる根拠の中に、私のブログ話も、その根拠のひとつになっていると思えます。

申し訳ありませんが、[松下村塾]は、[イエズス会]の【ご本家でもなく、また、大内の先祖も(Wikipedia)に掲載されている人ではありません】。

もっと日本に密接な人です。

少なくとも私は、そう教えられています。


■【※(1)】は、あなた様のお間違いでありますので、本日(2014.08.31.)を持って、私のブログ記事の引用は、すべて削除頂けますよう、
謹んで、お願い申しあげます。

私は一切の嘘は書いては居りませんが、それを別の形で使われる事には、お断りをさせて頂きたいと思います。

何卒、よろしく、お願い申し上げます。

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■と、言うことで、該当ブログ主様は、即削除頂き感謝だが、3年前後も知らない所で、知らない話が創られ、語られていた事には驚いた。

それも、私の祖父母の親戚(玉木文之進)が創った【松下村塾】を、イエズス会と結び付けて書かれていた。

とんでもない話だ。


さらには、イエズス会を[悪の結社]と断じていた。

正直、私は、遠い先祖が山口市に残した[ザビエル協会]がイエズス会だとは知っているが、教えの中身までは知らない。

イエズス会に関しては、興味も関心も無いので、筆者の言葉の是非や真偽は解からない。

だが、山口県が、山口市が【観光名所】にしている所が[悪の結社]と断じるとは、【?】マークがいくつも付く。


■私の知る限り、近年の親族全部は仏教徒であり、キリスト教とは関係ない。

大内義隆にしても、ザビエルに伝道許可を与え、聖堂まで建てた寛大な人物だが、それが由に家臣の謀反に遭い滅ぼされた。

当時の大内家は、武闘派と文治派に別れ、内紛の最中だったのだ。

大内義隆を始め文治派の勢いが強く、戦乱の京都から大量の公家を匿い、本気で【西の京都】を創らんとしていた。


大内義隆は、今でいう[日本神道]派であり、同時に[仏教]も学んでいた。

だから、宗教には寛容な人物だったであろう事は、推測できるし、私もそう教えられている。

大内が建てた[五重塔]は、本家の京都を凌ぐほどのものであり、備前(岡山)の僧侶:雪舟を育てた。

だから山口市には[五重塔]、[雪舟の庭]があり、そして[ザビエル記念聖堂]がある。


■織田信長が天下統一を叫んでいた室町末期の戦国時代は武将乱立で、とにかくゴチャゴチャしていて頭の中で整理整頓が出来ない(笑)

いい加減な話は、ワンサカある時代なので、私は嫌いだ。

私にとっては、どうでもいい話ばかりだ。

興味もなければ関心も無い。




・・無かったのだが、10年前あたりに【吉田松陰】の本が書店に並び、その時初めて、吉田松陰と乃木希典が玉木文之進の甥だと知った。

前述の通り、玉木文之進は祖父母の親戚であり、大内義隆の(隠れ)子孫だ。

私は、大内滅亡後の話は長老達から聞かされていたが、世に出すつもりは無かった。

出して悪い話がある訳では無い。私自身が語りたく無かったのだ。

詳細を教え込まれていたのは、私の祖母の妹(学校教師をしていて、佐藤栄作夫人の同級生で、2年前102歳で亡くなった)、
私の伯母(父の姉で、既に亡くなっている)、そして私の3人のみだ。

3人に共通するものは、記憶力が良いことだと思う。


■だけども私は、この伯母や親族達とは気が合わず、誰にも伝える事はしなかった。40年間も(笑)

そのまま歴史舞台から葬り去るつもりだった。

だが、何かの時の為、祖母の妹のおばさん(と呼んでいた)と、話のすり合わせはしていた。

このおばさんは、親族の中では誰からも尊敬され、敬愛される人だった。

おばさんが、親戚のあちこちで語り歩くので(笑)、次第に親族達は(大内の子孫らしい)程度は知ってしまったが、詳細までは知らないようだ。

それで良いと思っていた。

だいたい、大内の(隠れ)子孫と言って良いのか、京都公家の子孫と言って良いのか、誰が決めるのか(笑)

どちらにせよ、親族達の中には地位ある人達が多いので、天狗鼻をますます長くさせるのが嫌だった。(これが、本当の本音)




気が変わったのは、[幸福の科学]の教えを受けたからだ。

【人は誰でも、その環境、その家系・家族に産まれた意味があります】と、教わったからだ。

そこにもって、【吉田松陰】の本が並び、大内家と吉田松陰の繋がりを知ったのだ。

40年間黙して、本気で歴史から葬り去るつもりだったが、新たに【吉田松陰】との関係を知り(杉・乃木が親族である事は教えられていた)、
(これは何かある)と思った私は、信頼出来る人達へ語り始めた。

ある親戚では、『そうか!そうだったのか!これでスッポリ抜けていた部分が全部埋まった!』
『次の日曜日が親父の法事で親戚中が集まるが、思わぬ良い報告が出来る。親父の導きかも知れんな』と、大歓迎された。

この人と、親父さんには、私は直接的な世話にはなっては居なかったが、発される思いや言葉の節々から伝わって来るものがあった。

この時だけは、「話して、伝えて良かった」と思ったものだ。


■以後は、当ブログに話の一部を書いた。

その書いた話を、引用され、話をすり変えられたので、削除依頼を出して応じて頂いた。




■私が、このブログを書き始めた頃は、[虹のかなたに]という質素なものだったが、天上界の松蔭先生から叱られた(汗)

また、叱られはしないが、坂本龍馬からも叱咤された(汗)

松蔭先生からは、【松下村塾にして、私の名を使え】とまで言われて、[平成松下村塾-松蔭と共に幸福実現党を応援]と改めた。

殆ど「清水の舞台から飛び降りる」ような境地だったが、そこまでしても、「しなければならない」ような自覚か錯覚(笑)のような気持が湧き出した。


■そんなこんなで、いろいろあったが(笑)、今は、自己責任として書いている。

そもそも難しい話は書けないので、開き直って(笑)、中学生が読んでも解かるように書いている。

なるべく1行1節に収まるような文にして、話は長くても(汗)、少しでも読みやすいようにと、工夫しながら書いている。これでも(笑)

だから、「です、ます」言葉をやめて、「ブッ切り言葉」にしているが、他意は無いので、ご勘弁。


■最初は1日寝かせていたが、最近は書き上げたら直ぐにUPしているので、読み直す度に、誤字・脱字を見つける(汗)

[虹のかなたに]から[平成松下村塾]に変えた時、「1000回までは頑張ろう」と思って居たが、現在900回を超えたので、あと100回だ。

頑張れば今年中で達成だ。

・・が、その気はない(汗)

そんな事を気にしていては、ブログの目的さえも変わってしまう。

私のブログ目的は、ひとりでも多くの方の[幸福の科学/幸福実現党]への御理解を頂きたい為だ。

なので、偽り無く、ありのままを書いている。

「ブッ切り言葉」で申し訳なく思いながらも。。


追記に、【五街道を歩く】さんの話を引用させて頂く。

この方は、私が書いた話の裏付けや、私の知らない歴史知識で、当人の私が驚くような事を書かれているので、私の記録として残したい。




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◆長州突出のなぞ
http://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59398752.html


■明治維新が薩長連合とそれを仲介した坂本龍馬によって成立したことは周知のことである。

小説のみならず歴史学会の中でもそう理解されているのだろう。

薩摩は日本列島の南端にあって、徳川幕府の支配が十分及ばなかったため密貿易で資本と軍事力を蓄積していたのであろう。

長州がなぜ反幕体制のもうひとつの核になったのかがよくわからなかった。

この『なぞ』は、明治革命のいろんな局面で登場してくる。

なぜ品川称二郎が奥羽鎮撫総督府下参謀を辞退し、世良修蔵を派遣したのかという不思議な人事にもなぞの力学が働いている。

だから、長州がなぜ突出していたのかという理由は、攻められた奥州の人々にも重要な意味を持つことになる。

毛利の殿様は、正月になると今年は幕府を倒す年かどうか、家臣に毎年問う儀式があったことは知っているが、
徳川への恨みならば外様はみな同じであろう。

長州が突出する理由が不明なのだった。


ある日、山口・下関生まれの友人M氏がメールで教えてくれたことがそのなぞをとく鍵となった。

「松陰は大内義隆の親戚筋の杉家の生まれです。」

松陰は大内氏の流れであるということだ。

それは私の直感に作用し、思想的な面において「ザビエルと松陰の間」を渡す橋が見えてきたのである。

直接松陰がカトリック教徒ということではない。

松陰を取り巻く人々の中に、大内氏が保護したイエズス会の思想的影響を受けた人物がいたであろうことが推測できる。

私は萩市のキリシタン殉教地に近い村田清風が隠れキリシタンではないかと想像したことがある。

その根拠は住居が近いとうだけの弱いものだったが、
もし大内氏の血が松陰に流れているとすれば、もっとしっかりした根拠としてザビエルと松陰の関係を物語ってくれるような気がするのだ。

大内義隆はザビエルに山口での布教を許可し、教会も立てさせた男である。

その重臣に杉氏、陶(すえ)氏、内藤氏がいた。

安芸(広島)の毛利氏との争いの前に、陶氏の謀反により大内氏は滅びたが、陶氏も毛利氏に滅ぼされて、中国地方は毛利の領地となった。

関が原で西軍についたことから、家康から毛利氏の領地は削減され防長2州だけになり、山陰の海に面する萩に閉じ込められた。

水軍の力によって、大内氏の最盛期の支配は広域に及んでいる。

『和泉・紀伊・周防・長門・豊前・石見の6カ国を領する守護大名となり、李氏朝鮮とも独自の貿易を行うなどして大内氏の最盛期を築き上げた。』(大内氏(Wikipedia)より)

室町時代には北九州方面へも進出している。

山陽の海を荒らしまわる大内氏を山陰の海へ閉じ込めることは、徳川の選んだ兵法であったようだ。

やがて、徳川の威力が落ちてくると藩庁を内陸の山口へと移している。
山口からであれば山陽の海へは近い。

大内氏の出自は百済王である。

『日本の武家はいわゆる「源平藤橘」やその他の中央の貴族の末裔を称することが多いが、
大内氏は百済の聖明王の第3王子である琳聖太子の後裔と称している。

琳聖太子が日本に渡り、周防国多々良浜に着岸したことから「多々良」と名乗り、後に大内村に居住したことから大内を名字としたとする。

しかし琳聖太子の記録は古代にはなく、大内氏が琳聖太子後裔を名乗るのは14世紀以降とされる。

代々、周防国で周防権介を世襲した在庁官人の出であること以外は不明である。』(大内氏(Wikipedia)より)

※(注1) この話は疑問だ。私は、大内氏は日本国王室と関係深い人物で、百済と交易して居た話としては聞いている。


■「多々良」(たたら)という本名は「製鉄技術」の多々良製法を日本へ伝来させた民族を指している。

これだけでは、明治維新で長州が主力部隊のひとつになった理由として納得できない。

大内氏の重臣であった杉氏の末裔である松陰が、主人は毛利氏に変わったとは言え、
かつての大内の栄華をふたたびと望むのはわからないでもない。


※(注2)この推理は間違っている。松蔭が、再度、大内の栄華を望むはずも無く、私の知る限り、そうした話は一切無い。


■ほかに何か理由があったのではないか。

調べていると「平成松下村塾」というサイトに出会った。

重臣の陶晴賢が主君の大内義孝を滅ぼしたために大内氏は滅亡したのだが、その最後の殿様の末裔だと称する人のサイトだと自己紹介をしている。


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◆『やがて、その毛利元就によって、大内氏は全滅するのだが歴史は、ちょっと違う。

大内義孝には、陶晴孝という、毛利元就と争う腹心が居た。

陶晴孝の、「今のままでは毛利に滅ぼされてしまう」と言う進言は聞き入れられなかった。

陶晴孝の予想通り、今の広島に居た毛利元就は、大内殲滅の進軍を開始した。

陶晴孝は、毛利元就に大内の統轄領を渡さない為に、主君の大内義孝を攻撃したのだが・・。

その陶晴孝も、毛利元就によって滅ぼされてしまう。

下克上の時代だったのだ。


◆この大内全滅とされる時、じつは、京都公家の人達は、奥方を含めて逃げ延びて居る。

逃げる京都公家を、陶晴孝も毛利元就も、追う事は出来なかった。

なんたって相手は、京都の公家なのだ。

再び大内の名で立ち向かって来ることは無いと思い、見逃した。

そしてその通りだった(ここまでは、歴史で語られている)


◆幼い私は、それからの一族の歴史を、長老達に教え込まれた。

逃げ延びた公家達は、萩に近い川上村という山中で、その後200年間過ごした。

大内義孝の奥方は身籠もっていた。

産まれた子を、環丸(たまきまる)と名付けられた、環麿(たまきまろ)だったかも知れない。

その子の名前から「玉木」と姓を名乗った。

すべての結婚は他人の血を入れない血族結婚か、子供のやりとり(養子)だ。

全員が玉木なので、杉の木のある家に居た者は、「杉」「乃木」、村の中心に居た者は「中村」。

公家の世話をしていた者には「宮本」、他にも「吉田」、「国末」、「田中」、「上野」、「松永」・・など屋号のような姓が付けられた。


◆そして文化10年の頃(今から200年程度前)、山陽の新田開発に出た者と、山陰に分かれた。

私の家の墓は、「玉木家先祖代々の墓」であり、文化13年に作られたものだ。

この地域では最も古い、ボロボロだ(笑)

私の祖母は玉木であり、祖父と祖母はいとこ同士だ。

万一、子供が出来なかったら一族から養子を迎えていた。

すべてそうだった。

戦後になって、他人の血を迎えなければならなくなった、母達が来るまでは・・。


◆私は、この母に産んでもらったが、育てたのは誰だろう・・。

毎日毎日、玉木・宮本・松永の長老達のウルサイ小言を聞いていたように思う(笑)

それは、決して!生優しいものでは無い。

教えられているのか、叱られているのか、解らないほどだった。


◆なぜ?私だけが、そんな長老達に寄って集って躾られたのか?

弟や妹には、そんなことはないのだ。

自分達の子供さえも無かったのだ。

それは、母親が夢枕に見た白ヒゲの神様と関係しているのかと思う。

そうとしか思えない。

子供が出来なかった母親は、県内のある神社に参拝した晩、「お前に男の子を授ける、○僧の子なるぞ!」と、言われたそうな。

そして私が産まれた。

その時の玉木の長老にも、何かお告げのようなものがあったらしい。

一族を代表する証として、産まれた私に【義】を名前に付けることになったようだ。

【義】は、大内義孝の一文字なのだ


◆話を、明治維新前に遡らせるが、山陰に出た玉木の一族に、「玉木文乃進」という人が居た。

玉木文乃進は、一族の杉家から玉木家に養子として迎えられた。

文乃進こそが、あの【松下村塾】を創った人だ。

松下村塾は吉田松陰が創ったと思われているが、違う、松蔭は三代目だ。

さらに、杉家から吉田家に養子に行ったのが、文乃進の甥の、後の吉田松陰だ。

そして、吉田松陰と乃木希典は、従妹同士だ。

その二人は、玉木文乃進に徹底的に学問を叩き込まれる。

その厳しさは、想像に絶するものがあったと言われている。


◆文乃進のおかげで、松蔭は10歳で、毛利藩主の元、軍学師範となった
巡り合わせとは皮肉なものだ。

遠い時代、大内という先祖を滅ぼした、家来の毛利の腹心として仕えた。

彼は、その事を知っていたのだろうか・・。

たぶん、知らなかっただろう。

その後の事は、語るまでもない。

史実として残っている通りだ。

以下略。(「平成松下村塾」より)
http://sunshine7.blog9.fc2.com/blog-entry-114.html

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■文中、大内氏に謀反を働いた人物を陶晴孝(すえはるたか)と記載しているが、陶晴賢(すえはるかた)の間違いではないかと思う。

『陶晴賢(すえはるかた)は、戦国時代の武将で、周防大内氏の重臣である。

初名は隆房(たかふさ)で、晴賢と名乗ったのは天文20年(1551年)に大内義隆を殺害した後に、大友晴英(後の大内義長)を当主に据えて後、
厳島の戦い前に出家するまでの数年間だけである。』(陶晴賢 Wikipedia)より)

晴孝はケアレスミスであろう。

※(注3)恥ずかしながら、歴史にはあまり興味がないので、名前は知っていても、誤字には気付いていなかったのが、本当の処。


「杉の木のある家に居た者は、「杉」「乃木」」と名乗ったとあり、吉田(旧姓杉)松陰と乃木希典は従兄弟であるという。

両者は大内氏の血を引く玉木家から分岐したものである。


■玉木家は「環」家ともかけるだろう。

井沢元彦氏は逆説の日本史1で倭人の「わ」は、環濠集落を意味する「環」か「輪」を意味する古代日本語であろうと推理していた。

環族とは「わ」族にもなり、古代日本人の倭人(中国人の当てた漢字)でもある。

この著者が祖先から受け継いできたさまざまな物語からは、真実に迫るような迫力を感じた。(つづき)


(前の記事から続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59398753.html

■下関生まれの友人M氏にさっき掲載した「平成松下村塾」の記事を紹介すると、記事中の誤字が気になると言っていた。

私も最初は全部誤字だと思ったが、記事内容を読み進むうちに、先祖の大事な名前は間違えないはずだと思うようになってきた。

そこでネット上で「義孝」や「晴孝」を用いている例があるかどうか調べてみた。

「平成松下村塾」の記事にある「大内義孝」は「義隆」のことのようだが、探してみると結構「義孝」で書いているものもある。

もちろん「義隆」が主流だが、ケアレスミスで「義孝」と書いたのではなさそうである。

※(注4) ごめんなさい。本当にケアレスミスです。


「大内義孝」表示はかなりあったが、いくつかサイトアドレスを抜粋する。
http://hsnt.jp/go_museum/pdf/3_1_6.pdf
http://www4.ocn.ne.jp/~primrose/rakujou.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1323938613
https://www.eu-ki.com/user/sanchi/st_saiky.html
http://hiroshima.catholic.jp/jn/071222.htm

■とくに最後のサイトには、広島から山口のザビエル教会をたずねたカトリック信者の報告記事だったので、詳しく読んだ。

「1549年聖フランシスコサビエル下関上陸の地(堂崎の渡し場)の記念碑を訪れサビエル城の石を見学した。」などの信者でしか知らないようなことの記載があった。

またペトロ岐部が福者に列せられたことを祝う行事に参加するために広島から山口へ行ったようである。

以前このブログでペドロ岐部を紹介したが、彼は仙台で捕縛され、「ころび申さず」との理由で磔か斬首されたようだ。

日本人が福者に列せられる目出度い行事が、なぜ山口なのだろうか。

ザビエル来日後に、大名が初めて布教を許したのが山口なのである。


■長州は、イエズス会という立場で見ると聖地なのである。

※(注5) このあたりから、筆者の別なる意図が見え隠れし始めるが、↑ 上の言葉には、【否】を言いたい。

長州が他の外様と突出していた理由のひとつとして候補に挙げられることだろう。


■さて話が誤字のことである。

歴史上の記録では『本名』は「大内義隆」であるけれど、大内義孝は必ずしも誤字とは言えないくらい多くの人が用いている名前であることがわかった。

一方の「陶晴孝」(はるたか)は、「晴賢」(はるかた)の間違いだと思われる。

「陶晴孝」で検索しても、上記の「平成松下村塾」の記事が2件出てくるだけで、ほかに使用例はない。

よって著者の誤字だと思われる。

ただ気になるのは、「大内義孝」と書く人が結構いまだに残存しているという事実である。

昔は本名で高貴な人を呼ばない習慣があり、よってイミナや字(あざ)を用いたが、
本名を生きているうちに呼ばないということは、死んでから初めて文字にしたり口にすることになる。

それを目にし、口にするのも身内の人が一番多いはずである。

歴史家は大内義隆と本名文字をフッタけれど、身内の人々は大内義孝という本名を語り継いできた可能性があるのではないだろうか。

そう仮定すると、大内義隆滅亡後に奥方の腹にいた殿様の子の末裔たちが、殿の本名を間違うはずはない。

「平成松下村塾」の著者が先祖は「大内義孝」と聞いて育てられたこともうなづける。

そう仮定してみると、陶氏は大内の重臣なので、本名の一文字を主君から与えられることあっただろう。

すると「陶晴孝」という名が実在してもおかしくはない。

しかし、もし本名が「大内義隆」だったと仮定すると、「晴孝」は誤字の可能性が高くなる。

大内義孝の子孫を自称する方の記事を正しいと仮定してみると、「晴孝」から「晴賢」への変遷はこう推理できよう。

大内義孝を殺害した陶晴孝は、憎い「義孝」の一文字をもらった自分の名前の改名を図るだろう。

「晴」は残すとしても、「孝」の替え字を用いれば音読みには「たか」が残ってしまう。

いっそのこと「たか」をひっくりかえして「かた」として適当な文字「賢」を坊主に選ばせて『晴賢(はるかた)」と名乗った。

名前のみならず実在の「義孝」をひっくりかえしたのも、「晴孝」だったのである。

案外どちらも「義孝」、「晴孝」であったのではないかという気分になっくる。


■最初に私が感じたように「どちらも誤字であって、大事な人物の姓名を書き間違えるような記事は信用できない」と切って捨てられる可能性も残るが、

信用できない人物が架空話を創作して生い立ちを語っているとするには、あまりにも説得力ある文である。

大内氏と松陰が血縁関係さえあった可能性があること、
大内氏はザビエルを受け入れた人、
京都の大量の公家がやってきて西の都を作ろうとしていたこと、
その公家たちは山陰と山陽に分かれて200年間長州で暮らしていたこと、

などが一本の糸でつながってきた。

山口の公家たちがイエズス会の教えにかぶれていたことは当然であろう。

※(注6)どこからそんな事になるのか知らないが、この話(山口の公家たちがイエズス会の教えにかぶれていた)は、筆者の想像の産物に過ぎない。


■ザビエルが大内義隆にプレゼントしたハイカラな機械式時計など珍しいものが山口にはあったはずだ。

日本のどこにもないものが山口にはあった時代である。

鉄砲さえも伝来していたようだ。

『幻の鉄砲伝来:種子島銃の伝来前から明との交易により鳥銃と呼ばれる火縄銃が伝来していた。

しかし、大内氏は鉄砲の量産よりも輸出品の増産に努めており普及しなかった。』

(大内文化(Wikipedia)より)


■200年間長州で暮らしていた京都の公家たちは、山陽と山陰に住んでいたようだ。

山陽とは田布施やその南方の土地(麻郷)などであろう。

田布施の大室寅之祐が明治天皇になったというフルベッキ説は現実味を帯びてくる。

田布施から岸信介、佐藤栄作、安倍晋三など総理大臣が次々と生まれることも不思議ではなくなる。

また、山陰に住んだであろう公家たちが、松陰をはじめ尊王の志士たちを煽動した可能性が高い。

下関生まれの友人の一言、「松陰は大内家の重臣杉家の出身」から多くのなぞが解けていきそうな気がする。

長州が明治維新で突出した理由は大内義隆が保護していた公家集団が長州に住んでいたことであろう。

七卿落ちが京都から長州へと都落ちする理由もそれであろう。

長州以外には考えられないのである。

日本における百済系扶余族の本拠地が大内氏の所領、とりわけ長州とも読めそうだ。

松陰は、山口のイエズス会と、京都から移り住んできたカトリック信仰を持つ公家集団のパワーでドライブされた人かも知れない。


■松陰をマインドコントロールするためにカトリック信仰は用いていないだろう。

松陰はそのことに気づいてさえいないまま、大きな事件を誘発する行動をとっていく。

それは政権転覆革命であり、同時に皇統の南北朝をひっくり返すほどの易姓革命でもあったのかも知れない。

『江戸時代牛久藩主であった山口氏は、大内氏分家であり大内義弘の次男・大内持盛の系統である。明治維新まで譜代大名として存続した』
(大内氏(Wikipedia)より)

大内再興の夢、公家政権復興の夢を持つ藩主が、常陸国にもいた。

尊攘思想の中心地の水戸藩にも近い牛久藩である。

『牛久藩(うしくはん)は、常陸国河内郡に存在した藩。藩庁は牛久陣屋(茨城県牛久市)。

牛久藩を12代にわたって支配した山口氏は、戦国時代の西国大名では最強と呼ばれた名門・大内氏の系統と言われている。

祖先は応永の乱で室町幕府第3代将軍・足利義満に反乱を起こした大内義弘の次男・大内持盛と言われ、
大内氏の本拠地・周防国山口の地名をとって、山口氏と称した』(牛久藩(Wikipedia)より)




【平成松下村塾、筆者より】

イエズス会がどうのこうのを除いては、なかなか面白い話でもある。

文中の誤字は、私の不作為による、本当の誤字だ(汗)

誤字が、ここまで拡大解釈されるとは、正直、驚いた。

弁解の余地が無いほど精査されているのにも、驚くばかりだ。

執筆者様には、ほんとうに申し訳なく、反省する次第。


■また、執筆者様は、かなり(Wikipedia)を利用されて居るようだが、(Wikipedia)には間違った情報も多いので、読まれる方も御注意を。

平成松下村塾の筆者としては、誤字の謝意と、話の裏付けをして頂けて、感謝する次第。 m(._.)m

だが、何かは知らぬが、イエズス会を基にして、意図的かどうかは存ぜぬが、後半部には悪意すら感じるので、再考されたし。


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【ショック!】外国の人から「日本は2度目の無条件降伏をするのか?」と、言われた! Sep 10, 2017
【お知らせ:山口県民の方々へ】大川隆法総裁の特別大講演会『人類の選択』が FM山口で放送されます。 Aug 31, 2017
◆【白龍?】空の雲を見ていると、いろんな形に変わるのが面白くて好きだ。だが、天候との関係は如何に? Aug 07, 2017
迷走台風5号は、日本国民への神々からの警告か? Aug 06, 2017
大川隆法総裁 講演「人類の選択」 Aug 03, 2017
◆【いじめを無くそう】人は感性(勝負)→知性(損得)→理性(善悪)→悟性(神仏への愛)と成長する Jul 29, 2017
音楽等の整理 Jul 24, 2017
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